メニュー

これは医療に関わらず様々な分野でも同じでしょうが、大きく「標準」がかわる = パラダイム・シフトが起こるとき、その流れにきっちりついていける者でないと第一線には立つのは難しいです。

[2025.10.08]

日本における国主導の健康増進運動でうまく成功した事例があります。それが「8020 運動」。有名ですね。「歯を 80 歳まで 20 本保って健康を維持しましょう」というアレです。1989  年ですから平成元年に当時の厚生省と日本歯科医師会がこのキャンペーンを始めました。当時は「高齢者で自分の歯を保っているひと」の数が少なく、総入れ歯が多かったため、「20 本以上の歯があれば食生活に大きな不自由なく生活できる」というエビデンスとともに運動がスタート。結果、この運動は極めてうまくいき、2025 年の調査では 80 歳以上 60% 以上で達成されていると報告されています。これは歯科医療の進歩や日々の口腔ケアが普及したこと、定期的な歯科検診重要性の広まりなどが要因とされています。「しっかり受診すれば健康を保てる」ということです。

しかし、必ずしも「きちんと医療に関わっていれば健康を保てるか」というと、ときどきですがそうではないこともあります。それは「標準医療の変化」が起こったときです。

たとえば院長の小学生時代を含む昭和時代の学校では「歯は横に磨きましょう」と教えられていた頃があります。「歯ブラシを横に動かして磨きましょう」という指導が一般的だったのです。そんなでしたから、確か 鳥山明 先生 原作のアニメ『Dr. スランプアラレちゃん』のエンディングで流れる歌の背景で「アラレちゃんやガッチャンが則巻博士やみどり先生といっしょに横磨きするシーン」があったような記憶があります。しかし現在では「歯と歯茎の間を意識して、毛先を小刻みに動かす縦磨きのほうがよい」とされており、昔ながらの横磨きは歯茎を傷めるリスクがあると注意されます。

これは「標準的なやり方が時代とともに変わる」という、ひとつの象徴的な例です。そしてこの変化は、実は医療の世界でも頻繁に起きています。「標準治療」と呼ばれる最も信頼できる治療方法ですら、10 年もすれば、いや早いときは 5 年程度でかわってしまうことがあります。

たとえば胃潰瘍。かつては「ストレスを避け、胃酸を抑える薬を飲み、安静にする」のがよい治療とされていました。それが現在西オーストラリア大学教授のバリー・マーシャル博士によってピロリ菌の存在が示され、これを除菌することで胃潰瘍が治癒することが実証された(博士はこのことを証明するために培養したピロリ菌を自ら飲み込み、10 日後に胃潰瘍になった、という、「信念があるひとはスゴいことをする」というエピソードの持ち主です)ことで治療はすっかりかわりました(ちなみに院長もピロリ菌を除菌したことがあります)。

次に心筋梗塞。かつては心筋梗塞の患者が来ると、まず酸素を投与し、ベッドに横たわらせて絶対安静。さらには心電図をみて危険な不整脈が出現したら除細動(いわゆる電気ショック)、あとは血栓溶解薬とよばれる動脈内の「血の塊」を溶かす治療、などが行われていました。しかし現在では、"Door to Balloon Time"(急性心筋梗塞の患者が病院に到着してからカテーテルで閉塞した冠動脈を風船(バルーン)で広げて血管を再開通までの時間)をいかに短くするかが重要視されるほど、カテーテルによる血管内治療(PCI)が重要しされています。「この細い管を安全な場所から心臓に通す」という手技を初めて行ったのがドイツのヴェルナー・フォルスマン先生です。

がんの世界も例外ではありません。かつては肺がんや腎がん、悪性黒色腫(メラノーマ)など様々な腫瘍、特に延命が難しいとされていた進行例に対して、「細胞を殺す薬」、いわゆる(狭義の)抗癌剤が使用されていました。もちろん現在でも抗癌剤は使用されるのですが、京都大学の 本庶佑 先生らが免疫チェックポイント阻害薬(がん細胞が体内の異物を排除・破壊する免疫細胞の攻撃から逃れるために使用する "ブレーキ" を解除させ、がんに対するわれわれの免疫細胞の働きを活性化させる治療薬)という、新しい機序による治療方法を確立させたことで、現在多くのがんにおいて(狭義の)抗癌剤が使用される頻度が徐々に少なってきています。この治療薬については投与前に標的となる分子の発現や遺伝子を確認することで個別化医療への道程も少しずつ見えてきています。

・・・上述の先生方はすべて、ノーベル生理学・医学賞の栄誉を得ています。そのくらい、「"標準" がかわる」=「パラダイム・シフト」につながるアイディアの創出・知見の発見というものは貴重なものです。

そして医学をはじめとする教育も大きくかわっています。院長が大学生だった頃は解剖学と生理学を 1 年近くかけて学び、ひたすら教科書などの成書を暗記するように読み込んでいく、という「詰め込み型」の教育が主流でした。しかし今は、まず「医学的な問題を学生に認識させ、その問題を解決するための方策を考えさせたり学ばせたりする」PBL(Problem-Based Learning)やシミュレーション教育、EBM(根拠に基づく医療)についての講義など、30 年前とは全くことなる学び方が中心となっています。学生のうちから「なぜそう考えるのか」「そのエビデンスは何か」を問う教育が行われるようになっているのです。医学教育内容の変化は、われわれ現場の医療者にとっても他人事ではありません。かつての常識をベースに臨床を続けていれば、知らず知らずのうちに「今の学生が学んだ机上の知識よりも実際に患者さんになされている治療が古い」という、笑えない状態になってしまう可能性があります。

歯磨きのような日常的な行為ですら、データや知見の蓄積とともに方法が変わります。まして人命にかかわるような疾患では、「昔こう習ったから」と言ってアップデートを怠ることは、患者さんにとって大きな損失になります。ですからわれわれ医師は常に学び、知識をアップデートする必要があります。現在院長は非常に幅広く、奥深い総合診療という分野を日々勉強しております。この勉強には幸か不幸か終りがありません。ただ、不思議なもので「めずらしい病態や疾患について学ぶとその勉強した内容を発揮するような患者さんが来院される」ということが、本当に不思議なもので昔からよくあります(これは本当の医師あるあるです。もし医者がいたら聞いてみて下さい。かなり多くの医者が同意すると思います)。

医師になって 24 年になりますが、どんなに経験年数を重ねても、「変化」を前向きに受け入れ、「わからないことに立ち向かう姿勢」を持ち続けていきたい。そういった姿勢を保てなくなったら医師業の第一線から離れるべきとき。そのときは静かに当院を含めた第一線の医療機関から姿を消します。患者さんのために。

 

HOME

▲ ページのトップに戻る

Close

HOME