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ちょっと古いものを読んだり聴いたりしていると "時代遅れ" て言われたりしますが、突き抜けてむかしのモノにふれると "よく知っていてすごいですね" とか言われるフシギ。

[2026.02.27]

最近、懐古主義というわけでもないのですが、むかし聴いた音楽やむかし読んだ本を再度鑑賞しております。49 歳という年齢になって新しいものにチャレンジできなくなっているわけではないと信じたいのですが。
音楽はジーザス & メリーチェインやマイ・ブラッディ・ヴァレンタイン。いわゆるシューゲイザーと呼ばれるジャンルを確立した英国のバンドたちです。ジザメリはフィードバック全開のノイズと甘いメロディの衝突が耽美な感じで好きです。マイブラは轟音ギターを幾重にも重ね、揺らぐビブラート奏法で音を溶かすようなメロディ。大音量なのに内省的なのが唯一無二の味を出しています。どちらも公式 YouTube で名作アルバム "Psychocandy", "Loveless" がすべて聴けます。なんていい時代。
本は医師で作家の先生が著した本を。最近久しぶりに読んだのが渡辺淳一先生の『花埋み(はなうずみ)』。17 歳で「嫁に出された」名家に生まれた女きょうだいの末っ子「ぎん」。なんと彼女は嫁ぎ先の夫から新婚早々「膿淋」を伝染されます。「のうりん」。今で言う「淋病」です。1851 年生まれのぎん。現代であれば、淋病と分かったらセフトリアキソンという抗菌薬を投与して完治、という流れになりますが、淋病に罹患したのは 1868 年。明示新政府が発足した年です。アレクサンダー・フレミングがペニシリンを発見する 1928 年の 60 年も前です。主人公であるぎんはただちに嫁ぎ先から実家に戻り、離縁。そこから(この作品を読む限り、本当に数え切れないほどの)幾多の困難を乗り越え、日本発の公認(医師国家試験に合格した初めての)女性医師、荻野吟子先生として後世に名を残すことになります。東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)を首席で卒業し、医学校に入り優秀な成績で卒業するも、医師が開業するための試験を「前例がない」といういかにも官僚が言いそうな理由で受けることすら却下されてしまいます。しかしながらそこから再度さまざまな協力者・実力者との話し合い・説得を重ねてついに 33 歳の 1884 年、現在の医師国家試験にあたる「医術開業試験」を受験できました。ともに受けた女性は吟子先生のほかに 3 名いましたが、すべて不合格。吟子先生のみ合格します。自身が淋病に罹患したときに男性医師に陰部をさらさなければいけなかった屈辱から医道を志した吟子先生が専門とした診療科は、当然のことながら、産婦人科。ただ男尊女卑の空気が色濃い当時、開業したあともまだまだ彼女の困難は続くー。
あらすじだけでこんなにおもしろい。是非読んでみて下さい。渡辺淳一先生が『失楽園』だけではない、素晴らしい物語の紡ぎ手であることがよくわかると思います。
本を読む、特に歴史にまつわる作品にふれるということはまさに温故知新。現代にも通じる「新たな学び」をその文間から多く発見することができます。そんなことを考えている 49 歳の院長が最近あらためて噛み締めたコトバがあります。論語の
子曰、吾十有五而志乎学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲不踰矩。
15 歳で学問に志し、30 歳で独立し、40 歳で迷うことがなくなり、50 歳で天命を知り、60 歳で他人の言葉を謙虚に受け止められるようになり、70 歳で人の道を踏み外すことなく自由に行動できるようになった、という孔子の思いを表しています。
われわれは孔子のように生きることはできないかもしれませんが、この表現に則っていまを生きるわれわれの一生に重ねて考えてみましょう。
15 歳。義務教育を終えて高校へ進み、「与えられた学び」から「自ら選ぶ学び」へと舵を切る時期です。社会に出てから数年の修業を経て、30 歳前後になるとようやく一人前として扱われる。仕事の流れが見え、自分の責任で判断できるようになる年代と言ってもいいでしょう。40 歳頃には自らの専門・得意分野が把握できるようになり、組織の中でも一定の立場を得、信念に基づいて動ける力や環境が整ってきます。惑いが消えるというより、惑ってばかりではいられなくなる、と言った方が正確かもしれません。
そして 50 歳。ここがひとつの分水嶺です。49 歳の院長はちょうどこの年齢になろうとしています。医師であれば、医学界におけるひとつの頂点である講座の主任教授になれるかどうか。企業なら社長になれるかどうか。銀行なら頭取になれるかどうか。様々な業界の「トップ」になるための最終審査に入る年齢です。大学なら教授選、企業なら執行役選挙などでトップになれなかった場合、"敗者(トップになれなかったひとが皆自分のことをこんなふうに考えているわけではないと思いますが、一応 "敢えて" 言っています)" になったひとは自分の立ち位置を受け入れ、次の役割へと移っていく。これが「天命を知る」ということなのでしょう。
60 歳になると、他者の言葉に耳を傾けられるようになる、と古典は言います。遅すぎると思う向きもあるでしょう。しかし、多くの経験を経て、若い頃の欲や焦りが薄れたとき、はじめて他人をそのまま受け入れる余裕が生まれるのかもしれません。もうこの年になると出世や権力への渇望は枯渇し、視野が広がる時期といえます。
70 歳。体力も気力も全盛期とは違いますが、その分、道理が見えてくる年です。力で押し切るのではなく、自然と周囲と調和する境地に近づく。若者のように突っ走ることもできない代わりに、無理をすればすぐにカラダが言う事を聞かなくなる年齢でもあります。だからこそ、自分の立ち位置と分を知る知恵が身につくのでしょう。
こうして眺めると、2000 年以上前に語られたコトバが、いまの社会にも不思議なほど当てはまることに気づきます。文明は激変しました。テクノロジーは指数関数的に進歩し、仕事の形も変わりました。それでも、人が悩み、競い、折り合いをつけ、やがて受け入れていくプロセスは大きく変わっていません。だからこそ、古典は読み継がれるのでしょう。時代の表層ではなく、人間という基盤を描いているからです。
最近同じようなことばかり言っておりますが、だから本を読む、先人の知恵・知識にふれることを忘れずに現在を生きていこうと思います。睡眠時間は確実に削られてしまうのが玉にキズですが。
追伸: ちょうど翌週(2026/3/1〜3/3)に熊谷市立荻野吟子記念館で「荻野吟子 生誕祭」という催しが開かれるそうです。是非行きたいのですがオンラインワークショップで行けません。猛暑で有名な熊谷ですので夏は避けて今年中に一度訪れてみようと思います。

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