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はじめて手術をうけた 2007 年 10 月の頃 を振り返る- その 1

[2024.12.06]

院長はありがたくも母親に丈夫なカラダに生んでもらったおかげで大きな怪我や病気のない健やかな少年期・青年期を送ることができました。その後医師になったあとも学生時代に剣道を比較的ちゃんとやっていたおかげで、当時の超ハードな勤務(月の残業が 140 時間くらい)を乗り越えることができました。

しかし今から 17 年前、はじめて自分のキャパを超える仕事をしてしまい、過労の結果と思われる病気になり、手術を受けることになりました。今回はこの頃を振り返ってみようと思います。

当時はがん研有明病院でシニアレジデントをしていましたが、スタッフ 5 名・レジデント 3 名で年間に 300 例以上の全身麻酔手術をこなし、さらに小手術を 500 例以上、その上手術に加えて多くの抗がん剤治療や進行期の看取りなども行う、という野戦病院のような状況だったのを覚えております。さらに当時の部長であり、院長の臨床における師匠である 福井 巌 先生から「論文執筆や学会発表も臨床医の大事な仕事なのでしっかりやりなさい」というありがたいお言葉をいただき、積極的にそういった発表の機会も頂きました。特に「癌研」というブランド力もあったおかげで若手の割に華やかな学会活動をさせていただきました。

そんな日々を過ごしていた 2007 年 10 月、日本癌治療学会総会の発表を 10/26(金)にこなし、翌日の 10/27(土)に腎癌研究会の発表を行う(いずれも会場は京都)、という弾丸日程を駆け抜けることになりました。

学会発表というのは施設を代表して発表するわけですから、本番の前に自施設のスタッフに向かって「こういう発表をしますがよいでしょうか?」というリハーサルのような会(予演会と呼ばれていました)があります。これが本番よりも厳しい。部長をはじめ、癌研スタッフの厳しいツッコミに耐えつつなんとか 2 演題のスライドができたのは 10 月 19 日(土)。当直中の病院でなんとか仕上がり、ホッとしたのを覚えております。

しかし。10 月 21 日(日)の夜中、急な腹痛・吐き気に見舞われたのです・・・。

明日につづく。

 

↓ 当時の抄録集です。その下は発表内容を論文化したもの(日本泌尿器科学会雑誌)で、演題内容と論文の症例数が全く同じ(!)。現在こういうことをすると二重投稿としてペナルティを受けますが当時はこういった「学会で発表したものをそのまま論文化する」というのが結構当たり前でしたね。

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