またまたヤマザキマリさんの本を読んで安部公房先生について思いを馳せる。
・『他人の顔』:形成外科的アプローチ 事故で顔を失った男が、精巧な仮面を作って「他人」になりすまそうとする物語です。特筆すべきは、仮面を製作する工程の描写です。その粘り強いまでの細かな記述は、読者に「医学部出身だからこそ書けるディテール」と感じさせます。彼は「顔」というものを単なるパーツではなく、他者との通路として構造的に分析しました。
・『砂の女』:物理的・生物的な生存の記録 昆虫採集に訪れた男が、砂穴の家に閉じ込められる物語です。ここでは「砂」という流動体が、まるで顕微鏡で観察される物質のように生々しく描かれます。読者は砂の不快感や物理的な性質を、皮膚感覚で理解させられます。この作品は世界 30 数カ国で翻訳され、フランス最優秀外国文学賞を受賞するなど、世界的な評価を決定づけました。
・ワープロとシンセサイザー: 彼は日本で最も早くワープロで小説を執筆した作家の一人です(1984 年から使用)。NEC のワープロ開発にも関わり、その機種は「文豪」と名付けられました。また、自宅にいち早くシンセサイザーを導入し、自ら舞台音楽を制作するなど、電子機器を自在に操りました。
・「チェニジー」の発明: 驚くべきことに、彼は文学以外でも「発明家」として実績を残しています。ジャッキを使わずに装着できるタイヤチェーン「チェニジー」を考案し、国際発明家エキスポで銅賞を受賞しているのです。この合理性を追求する姿勢は、彼の小説の構成力にも直結しています。
・『第四間氷期』とAI社会:1950年代末に発表されたこの作品では、すでに「予言機械」が登場し、現代における ChatGPT などの生成 AI に通じるような世界観が描かれています。
・『箱男』と匿名性:ダンボール箱を被って都市を彷徨う「箱男」の視点は、現代の監視カメラやインターネット上の匿名性、あるいは人に見られずに見る「覗き見」の構造を先取りしています。
以前 YouTube で 1980 年中頃に収録されたと思われる、「作家の安部公房 先生が慶応義塾大学医学部分子生物学教室教授の渡辺 格 教授と遺伝子・細胞・分子生物学的な話題で議論をする」という、大変貴重な動画がありました(今もあるかも。公式サイトではありませんが)。タイトルは「物質 ⇒ 生命 ⇒ 精神 ⇒ そして X」で、全集の中の対談集に収載されています。
そのなかで安部先生がこのようなことを言う場面があります。
「イラン・イラク戦争のニュースを観ていたんです。テヘランだったと思います。すると爆撃のあとですからカメラが瓦礫の山をとらえてるんです。その瓦礫をカメラがずっとパンしていくんですが、爆撃のあとですから破れたシャツとか靴とかが散乱しているわけです。でもそのなかでふっとカメラが止まって 1 冊の本をとらえたんです。それがドストエフスキイだったんです。それがいろいろな意味で凄くショックでした。というのは、自分がドストエフスキイに興味を持ったのが 15 歳くらいの(太平洋戦争における)日米開戦の頃だったんですが、ドストエフスキイの世界というのは人種や民族はいなくて "人間" しかいない世界。その世界に没頭している自分にとって "日米開戦" というのはものすごく矛盾した、気持ちが引きちぎれられるような感覚になったんです。文学は腹の足しにもならない役に立たないもの、とある意味では言えるのかもしれませんが、普遍的な思考に深く関わっている、コトバが凝縮した世界なわけです。ドストエフスキイのあの映像は、希望と絶望が入り混じった、どちらかというと絶望が多かったかもしれませんが、感情を引き起こしましたが、言語、コトバっていうものの "もしかして" っていう可能性を感じたりもしたわけです・・・」。
観念的でこじつけくさい意見かもしれませんが、再びテヘランが爆撃されている現在だからこそ、コトバの可能性を信じた安部公房先生の作品をもう一度読み返すときなのかもしれません。トランプさんとか読んでくれないかなぁ。そうしたらもう少し違う世界との向き合い方になるのではないかと愚考するのですけれど。
