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もうすぐ受験シーズン ⇒ 院長の高校受験(1992 年)をレビューしてみる(その 2 授業と教科書)

[2024.01.09]

院長が高校受験を振り返って 3 日目。なんだか昔のことを思い出して楽しくなってきました。

今回は学校の授業と教科書の活用について。

前回の書いたように、当時の神奈川公立高校受験はとにかく内申点重視。そして当時は絶対評価ではなく相対評価(10 段階で 10 は 3%, 9 は 7%, など割合が決まっていた)でした。相対評価というのは、言ってみれば通知表の数字を決める先生が「絶対」の評価となります。そのため学校の授業と、「公立高校入試においては教科書以上の内容は絶対出さない」というルールがありましたので、教科書をいかに活用するかが内申点獲得のための重要なポイントでした。

授業についてはとにかく先生の言うことをかなり事細かにノート上に落とすようにし、週末にまとめて見直す、ということをやっていました。よく記憶のために「その日・次の日・日曜日」という言葉があります。その日にやったことを翌日復習して数日経った週末にもう一度復習すると定着しやすい、ということです。

しかしながら、 13-15 歳と最高に若い自分で記憶のためのシナプス(神経細胞の接合点)発達が最も良好だったのでしょう。翌日の復習はなくとも記憶は比較的スムーズにできました。

それには 2 学年上である兄の存在が大きかったです。小 6 春休みに中 1 の教科書をさらりと予習し、「なんとなくこれからやることをふわっとでよいので知っておく」状態にし、以後 3-4 ヶ月後に学習する内容を把握するようにした結果、授業が復習となり、だいぶ自宅学習の時間を省略することができました(当時の中学生が熱狂していたドラゴンクエストを自分もかなりやりこんでいたので、ゲームの時間だけはどんなに忙しくても 1 日 1 時間程度は確保したいという強い思いもプラスになったかもしれません)。

最後に、上に述べたように、「先生が絶対」です。当時は反抗期で本当はツンケンしたいのですが、先生に少し媚びる「イヤなガキ」であったと、今振り返ると思います。

授業を真面目に聞き、課題などを遅延なく提出し、テストも頑張った結果、内申点が結果としてどうなったか。次回のブログで書いてみたいと思います。

・・・医療と全く関係ありませんが、終了まであと 5 回くらい思うままに書いてみたいと思います。興味ある方はお付き合いください。

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