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エビデンスにアートをのせるのはどの業界でも共通であるようです。

[2026.05.06]

最近、よくいろいろな討論番組や、一般的な会話にも「エビデンス」というコトバが出てくるようになりました。まずはエビデンスの意味ですが、 「証拠、根拠」と記載されているものが多く、それでは「根拠」を辞書でしらべると「ある言動のよりどころ、また議論などのよりどころ」とあります。漢語によるカチッとした定義、というよりも、「よりどころ」という和語でふわっと書かれている、という印象です。

医療で EBM(Evidence-based medicine)というと、通常は「根拠に基づく医療」と約され、1990 年代、とくに有名なのが医学における 4 大ジャーナルのひとつ、BMJ に 1996 年に掲載された論文、Sackett DL, Evidence based medicine: what it is and what it isn't. BMJ.1996;312(7023):71-2. で、このなかに「患者のヘルスケアに関する意思決定を行うとき、個別の臨床知識・患者嗜好や価値観らと組み合わせ、現代における最善のエビデンスを良心的、明示的、かつ賢明に利用するべきである」と定義されています。ただ、このなかで著者は、「優れた医師は、臨床における専門知識・経験と、そのとき用いうる最善のエビデンス、この双方を組み合わせて利用するが、これは "どちらも単独では十分ではない" ためである」と記載しています。すなわち、「エビデンスを振りかざす」だけでもだめで、そこにある種の「状況に応じた知識・経験を組み合わせること」が求められるわけです。

院長が継続的に参加している総合医育成のワークショップにおける最初のレクチャーで、プログラムの統括責任者より「総合医(これはイコール地域の開業医、として問題ない)は患者さんを来院したときにその「点」だけで診るのではなく、「場」も診る必要がある、といわれました。これは、病名がついていない患者さんも診る、みたいなことで、サッカーで言えば「健康維持のために積極的な介入を行うフォワード的な役割」から「健診で来院された、"未病" の方の "守備を固める(=健康維持のための助言を行う、など)"ディフェンダーのような役割」、さらにはその中間のミッドフィルダー的な役割まで、その場面ごとに担う、ということが大切ですよ、という意味です。

こういった役割を果たすのに、あまりにもエビデンス一辺倒では相手に響きませんし、なによりそういった方とは初対面であることが多いので、まずは人間関係が構築しやすくなるための姿勢や話し方などの雰囲気が必要です。このとき、エビデンスはあまり役に立ちません。

また、エビデンスにより「◯◯ がん でこのステージなら手術が第一選択で、術式は ▢▢」と記載されているとき、行うべき術式は分かっていても、そのエビデンスを十分活かすためにはそれなりの経験や知識が必要です。たとえば標準で 3 時間程度を要する全身麻酔手術があり、その手術手順が大きく分けて 30 くらいあるとしましょう。その 30 それぞれにおいて、物品はなにを使い、どのように切離・剥離を行い、血管をいかに確保するか、また、臓器・組織切除後に患者さんの術後生活に影響を与えないような再建を行うにはどのような縫合糸を用いてどんな手順で手術を仕上げるか、みたいなことを、事細かに術前に決めておく必要があります。この選択には無数の選択肢があり、最終的な完成形は患者さんの個人差もあるため、いつも少しずつ異なるのが普通です。同じような体型の方に同じ術式を行ったとしても。ここにエビデンスが入り込める余地はないことはないのですが、相当狭い範囲となります。

昨日のブログでフルーツの品種改良について述べましたが、日本の果物が世界的に評価される理由のひとつに、「栽培技術の高さ」があるそうです。

・一粒一粒を間引く
・日光の当たり方を調整する
・収穫時期を厳密に見極める

こうした作業は、単なるマニュアルではなく、経験に裏打ちされた “職人技” が必要だそう。

医療においても、

・手術手技
・診察の所見の取り方
・微妙な判断

といった部分には、やはり経験が大きく関わります。一方で、現代の医療では遺伝学・分子生物学・薬理学などの臨床の基盤になるような学問がないと成り立ちません。すなわち、医学はどこまでいっても「技術(アート)と科学(サイエンス)の融合」を高いレベルで達成していくことが求められるのだと思います。

医療には絶対的な正解はありませんが、ある一定の最適解はあります。植物ならある品種が優れているかどうかは、気候・土壌・消費者の好み、などによって変わります。医療も同様で、年齢・基礎疾患・生活背景、などによって、正解はかわりますが、その状況に応じた最適な治療、というのは提案できることがほとんどです。このような「個別性を踏まえた判断」を提供するために、日々エビデンスを学ぶのと同時に、経験・知識の蓄積や哲学的な思考の訓練、さらには文学などを通じてメンタルを養う・・・ひとつでも大変なことを両立・鼎立していくことが医療者、特に医師には求められるのだと思っています。

果物や花など、植物の品種改良の話は、一見すると医療とは無関係に見えるかもしれません。しかしその本質を見ていくと、

・自然に対する介入
・再現性の追求
・試行錯誤の積み重ね
・科学と技術の融合
・個別性への対応

といった、多くの共通点が浮かび上がります。本質はどれも同じ、というのは本当に面白いですね。院長も "本質" を語ることができるよう、さらに学び続けたいと思っております。

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