"エビデンスに基づく医療" を実践する際にハマらないようにしたい "プロクルーステースのベッド" という沼。
これまでに何回か LOH (Late-onset hypogonadism) 症候群についてこのブログでも紹介したことがあります。いわゆる "男性更年期" で、これは最近特に当院の外来で増えてきていると感じる疾患です。この LOH 症候群、定義としては「性腺機能低下症(Hypogonadism)のうち,染色体異常,遺伝子異常,あるいは精巣の傷害,腫瘍,機能異常,および中枢神経系などの疾患に起因するものでなく,主として加齢あるいはストレスに伴うテストステロン値の低下による症候群を加齢男性性腺機能低下(late-onset hypogonadism:LOH)症候群と呼ぶ」(LOH 症候群診療の手引き 2022 より)となります・・・少しわかりにくいですが、女性の更年期障害とある程度同様の症状を呈することもある、加齢にまつわる諸症状、というところでしょうか。
この LOH 症候群、精神科の専門医ではないわれわれが診ると、気分の落ち込みが強い患者さんではときに「うつ病との鑑別をすべきか・・・」と考えることがあります。実際に先述の『LOH 症候群診療の手引き 2022』においても、「男性更年期傷害と中高年男性のうつ病では症状的な重なりが多く十分に弁別できない場合も少なくない」と記載があり、症状や病態がオーバーラップすることがありえます。「どちらとも言える」し「どちらとも言えない」。そんな患者さんが実際の診療では確実におられます。
こうした曖昧さを含む患者さんと向き合うとき、思い出すのがギリシア神話の「プロクルーステースのベッド」。聞いたことがあるでしょうか。これはギリシア神話に出てくる強盗を登場人物として、「旅人がいたら『自分の家で休ませてやろう』と声をかけて自宅に誘い入れ、ベッドに寝かせたときに、旅人の体が「用意したベッドより長すぎる場合ははみ出た部分を切り落とし、短すぎる場合は体を無理に引き伸ばす拷問にかける」いう、残酷な寓話です。ベッドを人に合わせるのではなく人をベッドに合わせるために、無理やり形を合わせる。この寓話から、「プロクルーステースのベッド」といえば「基準と少し異なっても無理矢理、定められた基準に一致させること」という意味が生まれました。
臨床における診断というのは、ときにこのベッドと似た側面を持ちます。
医学には疾患概念という “型” があります。エビデンス、診断基準、診療ガイドライン、標準治療プロトコール…。現代医療は「分類と標準化」によって強い力を発揮し、臨床医もその枠組みなしには診療ができません。そのためわれわれ臨床医は日々、目の前の症候を既存の疾患カテゴリーに照らし合わせ、「もっとも妥当な棚」に収納していきます。実際、救急の現場ではそういった "型" がないと救命できない患者さんは少なからずおられます。アナフィラキシーショック、急性心筋梗塞、脳梗塞、肺塞栓、敗血症など、緊急性が高い病態では、多少の診断の “不確実さ” を残したままでも治療を優先することがあります(特にアナフィラキシーなどは治療による不利益は少ないため積極的に治療(アドレナリン筋注)を行います)。むしろ、プロクルーステースのベッド的な微調整が求められるのです。「この症状ならまずこれとして扱う」という割り切りによる迅速な決断は、それが一定の「型への押し込み」があったとしても必要な考え方です。
しかしながら、LOH 症候群とうつ病のように境界が曖昧で、症状の背景に心理社会的要因、生活習慣、加齢、ホルモンの変動が複雑に絡むケース、特に生命や生活に差し迫った緊急性を伴わない場合では、プロクルーステースのベッド的な「型のあてはめ」はその患者さんにとってマイナスになることもしばしばあります。無理にどちらかへ分類しようとすると、その判断がバイアスとなり、先入観のように固定され、その症状がもつ “真の姿” を見落としてしまうかもしれないのです。
「テストステロン(男性ホルモン)が少し低い。だから LOH だ」と決めてしまうとホルモン補充療法を急いで行いたくなってしまいますし、「落ち込んでいるからうつ病だろう」と決めてしまうと、すぐにメンタルクリニックへ紹介、という流れになってしまいます。しかし、もし背景に家庭や職場のストレス、睡眠不足などがあれば、単一な治療、介入だけでは改善しません。ときには抗うつ薬を使うときもあればホルモン補充を考えるときもあり、カウンセリングや単にこれまでの人生について語ってもらうだけでも症状が改善するケースは実際に経験されます。
要するに、型への押し込みはときに安全装置であり、ときに思考の罠にもなりうるということ。
ここで大事なのは、「診断」そのものが目的ではなく、あくまで “最も良い治療にたどり着くための仮説にすぎない” という視点でしょう。診断は固定されたラベルではなく、患者さんの状態とともにアップデートされるべき「作業仮説」なのかもしれません。だから、こういった症状の患者さんを初診で拝見するときは、仮説を粗めに設定し、診療を進めながら精密化していく。LOH とうつ病の境界のような領域では、この姿勢が必要です。結局、メンタルクリニックの先生と一緒に診た結果、LOH とうつ病の “どちらか” ではなく、“どちらも一部ずつ関わっている” という病態が浮かび上がることもありますので。型に合わせるのではなく、まず “その患者さんのカタチ” を十分に評価するのが重要、といえそうです。
臨床の現場ではプロクルーステースのベッドを完全に否定することはできませんが、常に自分を「メタ認知」して「自分の診療を客観視する」姿勢を崩さないようにしてまいりたいと思います。診断基準にあてはめることばかりに集中して患者さんの目を見ない医師だけにはなりたくないと思う院長でした。
