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ゴールデンウィークに観た映画とそれと通ずる漫画をみて、改めて現代音楽のすべてを創りあげた 4 人の偉大さを思う。

[2026.05.12]

ゴールデンウィークが先週終わりました。院長は「365 日診療」を掲げているクリニックの見学をしたり、溜まっていた書類を片付けたりと、仕事モードの日々でしたが、流石に少しは休もうということで Amazon プライムでいくつか映画を観ました。そのひとつが『YESTERDAY』。「もし突然、世界中からビートルズの記憶だけが消えてしまったら?」という設定の音楽ファンタジー映画です。

あまり前情報もなくこの映画を観始めたのですが、鑑賞中に思い浮かんだのは日本の漫画、『僕はビートルズ』(原作: 藤井哲夫、作画:かわぐちかいじ)。2010 年の日本でビートルズのコピーバンドとして活動していた「FAB 4(ファブ・フォー)」のメンバー 4 人がビートルズのデビュー 1 年前の東京にタイムスリップし、その時代で懸命に生きながらビートルズの曲を自分たちの曲として発表していき・・・というストーリー。タイムスリップものは、結局「元の時代に戻る」パターンが多いなか、この作品はそのまま主人公たちはその時代で生き続け、自分がタイムスリップした時代に戻る頃にはもう老いている・・・という設定でした。『YESTERDAY』も『僕はビートルズ』も、「世の中が誰もビートルズを知らない状況のなか、すべてのナンバーを知っている主人公(たち)が自分の曲としてビートルズの楽曲を発表していき世界を驚かせる、というところが共通しています。

いずれの作品も、もしこの世界から The Beatles が消えてしまったらどうなるのか?」という問いに応えてみた、という性格のものです。その空白を埋めるように、主人公が彼らの楽曲を “発見した" かのように世に出し、一気にスターダムへと駆け上がっていく。一見「ビートルズの楽曲という極めて巨大なマスターピースの魅力に依存した安易にも思えるストーリー」に感じる設定ながら、鑑賞後に残るのは、そういった「ツッコミたくなる衝動」よりもむしろ「やっぱりビートルズナンバーの魅力はスゲェな。これが成立しちゃうんだから」という納得感です。

では、なぜビートルズの音楽はそこまで特別なのでしょうか。音楽に詳しくない方にとっては、「昔の有名なバンドでしょ?」くらいの認識かもしれません。しかし彼らは単なるヒットメーカーではありません。1960 年代という時代において、ポップ・ロックミュージック、さらにその枝葉にあたるユーロ、シンセ、ハードロック、オルタナティブ、プログレッシブ、グラムロック、パンク、さらにそれらの枝葉にあたるメロコア、ラウド、シューゲイザーなど、想定しうるほぼすべての「型」を一から作り上げてしまった存在といえます。自分のような者がこんなブログで言挙げせずとももう自明のことなのですが、ほかにも革新的と考えられた理由について挙げてみましょう。

現代の音楽で当たり前になっている「自分たちで作詞・作曲をするバンド」というスタイル。これは当時としては珍しいものでした。また、録音技術の使い方においても革新的で、スタジオを単なる録音場所ではなく “音を創造する場所” として使い始めたのも彼らです。今の音楽を聴くとき、私たちは無意識に「サビがあって、メロディがあって、心地よいコード進行がある」という構造を前提にしていますが、その多くはビートルズが形にしたものだと言っても過言ではありません。

つまり、彼らの音楽は「時代を超えて通用する」というより、「そもそも現代の音楽の土台そのもの」なのです。だからこそ、『YESTERDAY』『僕はビートルズ』の中で主人公(たち)がどれだけ努力しても、楽曲そのものの力には敵わないという描写が、観ている側にも自然に伝わってきます。この構造は、ある意味で少し残酷でもあります。才能のあるミュージシャンであっても、「名曲」を生み出すことは極めて難しい。その中で、"既に完成された楽曲を知っているだけ” で成功できてしまうという設定は、創作という行為の本質を逆説的に浮き彫りにしています。つまり、「ゼロからイチを生み出すこと」の価値の大きさです。

一方で、『YESTERDAY』『僕はビートルズ』は、いずれも単なるビートルズ礼賛の物語ではありません。主人公はやがて、自分が成し遂げた成功が本当に自分のものなのか、という葛藤に向き合うことになります。ここに、この映画のもうひとつのテーマがあります。それは「本物とは何か」「自分らしさとは何か」という問いです。

ビートルズの楽曲がどれほど優れていても、それを “借りている” だけでは、どこかで限界が訪れます。観客はその葛藤を通じて、単なる成功物語ではなく、ひとりの人間の選択を見届けることになります。このバランスが、この作品を単なるアイデア映画に終わらせていない理由でしょう。また、興味深いのは、「もしビートルズがいなかったら世界はどうなっていたか」という点です。劇中では音楽だけでなく、文化や価値観にも微妙なズレが生じています。映画ではオアシスが存在していませんでした。となると、村上春樹さんの『ノルウェイの森』もなく、伊坂幸太郎さんの『ゴールデンスランバー』も無くなってしまいます。これはものすごく残念。これらは決して大げさな演出ではなく、実際にビートルズが与えた影響の大きさを示唆しています。ファッション、言葉遣い、さらには若者文化そのものにまで、彼らの存在は深く関わっていたのです。

こうして考えると、『YESTERDAY』や『僕はビートルズ』は、単なるエンターテインメントではなく「文化とは何か」「創造とは何か」という問いを静かに投げかけている作品だと言えるかもしれません。そしてその問いを成立させている最大の要因こそが、ビートルズという存在の圧倒的な普遍性です。音楽に詳しくない方でも、これらの作品を楽しめる理由はここにあります。楽曲の細かい知識がなくても、「いいものはいい」と感じる感覚は誰にでもある。その “良いモノ” の極致としてビートルズが置かれているからこそ、物語が自然に心に入ってくるのです。

ただ、『YESTERDAY』ではインド系の青年が、『僕はビートルズ』では日本人が、"ビートルズもどき" の主人公として採用されています。白人の英国人ではありません。これらの作品は、主人公の属性が本家本元からかけ離れているからこそ、思い切ってその "もどき" を臆面もなく演じることができたのかもしれません。人種のことはタブーが多く、院長もあまり深い見識を持っているわけではないので誤った考えかもしれませんが、最後のエンドロールでなんとなくそんなことを考えて鑑賞終了となりました。

・・・今回は全く医療に関係ないハナシになってしまいました。すみません。

写真は実家の部屋を片付けていたときに出てきた『僕はビートルズ』です。

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