一つのコトバが生まれて長い時間を経て "逆の意味が付け加えられた" ひとつの例が "ドクター" という単語なのかも。
昨日、「"ドクター" って、もともとのラテン語では『示す、教える、知識を与える人』っていう意味」と記載しました。日々学んで知識をアップデートし、診療現場で患者さんに説明して方針を伝える。われわれ医師の仕事に、「教える人」という意味合いが込められているのは、なるほどなと納得させられる響きがあります。けれども、本音を言えば、実は私たちの方が「教えられている」ことのほうが多いのではないかと感じる毎日です。
無知な医学生時代、どんな病態にも「教科書やなんらかの論文のどこかしらに正解があるのではないか」と思っていました。診断基準・診療ガイドライン・論文で示された最新のエビデンス――それらを学び、正しく使いこなすことが医師に求められる役割かと。
しかし医師となり実際に臨床の現場に立ってみると、「教科書通りの患者さん」など、ひとりとしていないことにすぐに気づかされます。
実際の患者さんをこういったところで詳述することは、プライバシーの問題がありできませんので概略を述べるにとどめますが、こんな方がおられました。
20 年以上前。院長が大学で若手だった頃です。両側の腎結石をもつ中年女性の患者さんでした。右にも左にも腎結石があったのですが左は尿管にも結石があり、左腎盂腎炎で入院されていました。この患者さんを抗菌薬の点滴で治療していこう、という方針なのですがとにかく腕の静脈が細くてもろい。なかなか点滴が入らない上、やっと静脈路を確保しても 1-2 日ですぐに静脈がつぶれてしまいます。このとき、担当医チームで「どうしようか、中心静脈(心臓そばの太い静脈)に点滴を確保する処置をするか・・・という流れになりそうでしたが、感染症で入院しているときに中心静脈をいれるというのはさらに感染のリスクが増えるのでは、ということで迷っていました。
そんなとき、回診でその患者さんの顔を一目見た教授がボソッと言いました。
「あの患者さん、クッシングじゃない?」
担当医チーム全員に衝撃が走りました。
クッシング症候群とは、体内の副腎皮質ステロイド(コルチゾール)が過剰に分泌されてさまざまな病態を引き起こす病態です。そのなかに「尿路結石」もあり、「皮下溢血(皮膚からみえる静脈が破けて出血しやすくなる ⇒ 点滴をいれづらくなります)」もあり、血糖コントロールも悪くなるので感染症も起きやすくなるのです。特徴的なのが「満月様顔貌」で、顔が満月のように丸くなることがあり、この顔貌を教授が一目見て気づいたのです。教授に対してチームの皆が「さすがですね」と言ったところ、涼しい顔をされながら「自分が若い頃たくさんクッシングの患者さんを診たからね」とサラリと答えてくれました。
教科書で「尿路結石症」をみてもクッシング症候群を考えよ、とはまず書いていません。「静脈ルート確保困難」で検索してもまずクッシング症候群は出てこないでしょう。しかしそうした病態を合併する患者さんを「一発診断」した教授を改めて尊敬するとともに、臨床医として必ず備えるべき "直感" を鍛えるために「たくさん患者さんを診る」ことがいかに重要かを学ぶことができました。
それ以来、常に臨床の第一線でたくさんの患者さんを診ることを自分のなすべき仕事と思ってやってきました。それは「患者さんに教える」ためではなく「患者さんから教わる」ための時間であったと思います。
「ドクターとは、教える人のこと」。語源だけ読めば、私たちは知識と技術をもって患者さんに接し、その健康と生活を支える存在であるべきなのかもしれません。けれど、その実態は「日々、患者さんに教えられる人」でもあります。
どうすれば、患者さんがより健やかに過ごせるか。どうすれば、病気にかかってもそのなかで希望を見出してもらえるか。そういった難しい問題に対する答えは、われわれは患者さんとの対話を通じてのみ、得ることができると思います。
「教えるよりも、まず教えられること」から医師の仕事は始まる。ドクターの語源を知ってそんなことを考えた 6 月の梅雨入り日でした。