何事も相対的な今の世の中で "よし、これを自分の『絶対』にする" という覚悟は大切だと思います。
2026 年 5 月 11 日現在。まだまだホルムズ海峡の状況は改善しているとは言い難く、当院でも医療物品のオーダーが一部で滞るなど、コスト上昇によるダメージを心配しています。おそらく日々多くの手術を行っている基幹病院はより深刻かと思います。
ハナシは変わりますがたとえば石油会社。彼らは原油を扱い、社会を動かすエネルギーを供給しています。しかし同時に、「石油資源には限りがある」「環境負荷を減らさなければならない」ということも、誰より理解しています。だから本音としては、石油は大切に、無駄なく使ってほしいという思いはあるでしょう。製紙会社などもそう。トイレットペーパーやティッシュ、コピー用紙。私たちの日常生活に欠かせない製品を提供していますが、一方で森林資源を守る重要性もよく知っています。だから必要以上に無駄遣いしないでほしい、という思いはあるはずです。
世の中にはこういった、"すこしばかりの矛盾を抱えながら成り立っている仕事" というのが多くあります。少子高齢化はよくない、と言いながら高齢者が一気に少なくなるようなことになったら介護施設は困ってしまいますし、急に若者がものすごく立派になって早くから自立し、15 歳の時点で「義務教育ではないし、自分でネットや通信教育で勉強はできるから」などの理由で高等教育機関への進学を皆選択しないようになったら高校や大学は立ち行きません。
われわれ医療者もご多分に漏れず、似たような矛盾を抱えています。医療機関は、病気や怪我をした人が来院することで形式上は成り立っています。しかしこれはポーズではなくそうなのですが、本心では「世の中から病気が減ってほしい」「事故も感染症も起こらないでほしい」と思っています。医療者誰しもが、患者さんが苦しむ姿を見たくはないからです。
これらは一見するとツッコミをいれやすい矛盾です。「病気がなくなってほしい」と言いながら、病人がいなくなると仕事が成立しない。「資源を節約してほしい」と言いながら、商品が売れなければ困る。ただ、こういったことは突き詰めていくの全職種の半分以上、いやほとんどすべての業種にこういった面があると思います。世の中はそうそうシンプルではないので。しかしながら、こういった矛盾を抱えながらも、目の前の仕事に集中して働く。そして、この “矛盾を抱えたまま本分を全うする ”ということこそ、プロフェッショナルの条件なのではないかと思います。
もし石油会社が「とにかく大量に燃やせばいい」と考えたらどうなるでしょうか。資源は急速に枯渇し、環境負荷も増え、最終的には社会全体が困ることになります。もし製紙会社が「どんどん紙を使い捨てしてほしい」とだけ考えたら、森林資源は持続できません。
医療も同じです。「患者さんが増えれば増えるほど良い」とだけ考え始めた瞬間、医療は本来の姿から逸脱します。必要以上の検査、不必要な治療、不安を煽る情報発信。残念ながら現代社会では、そうした方向へ流れてしまう危険性が常にあります。しかし、本当に信頼されるプロフェッショナルは違います。石油会社は省エネ技術を研究する。製紙会社は再生紙や植林活動に取り組む。医療者は予防医学や健康教育を行い、学会では「すぐれた検査や治療」を語るうえで必ず「コストをいかにアフォーダブル(安い、というよりも「手頃な、手が届く価格」みたいなニュアンスの形容詞です)にするか」、ということもトピックとしてあがります。つまり、「自分たちの仕事が減る方向」にも真剣に努力しているのです。これは短期的な利益だけを見れば、非合理に見えるかもしれません。しかし長い目で見ると、社会から信頼される仕事というのは、結局こういう姿勢を持ったところだけなのだと思います。
ここで少し誤解されやすい話があります。「医者は病人がいなくなったら困るから、本当は病気が減ってほしくないのでは?」時々そういう意見を見かけます。しかし実際の臨床現場を知っている人間からすると、これはかなり現実と違います。たとえば重症の糖尿病で苦しむ患者さん。透析が必要になった患者さん。進行がんで苦痛を抱える患者さん。医療者は、そういう患者さんを毎日のように見ています。
「この人がもっと早く生活改善できていたら」
「禁煙できていたら」
「健診を受けていたら」
「もっと早く受診してくれていたら」
そう思うことは少なくありません。だから医療者は、健康診断を勧めるし、予防接種を推奨するし、減塩や運動の大切さを説明します。それは「患者を減らしたい」行為でもあります。普通の商売感覚で考えると、自分の客を減らそうとしているわけです。しかし医療という仕事は、それでもやらなければならない。なぜか。それが「患者さんの利益」だからです。プロフェッショナルというのは、時に自分たちの短期的利益より、相手の利益を優先できる人たちのことなのかもしれません。
世の中には、「矛盾のない仕事」など、実はあまり存在しないのではないでしょうか。教育者は、最終的には「教えなくても自立できる人」を育てようとします。介護職は、「介護が不要になるくらい元気でいてほしい」と願っています。消防士は、火災が起こらない社会を望んでいます。しかし、現実には問題はゼロにはなりません。だから彼らは必要とされ続けます。そして本物のプロほど、「自分の仕事が必要なくなる理想」を語れるのだと思います。
医療でいえば、「みんな健康でいてほしい」。それは決して建前ではありません。ただ、人間は生きている以上、老いも病も完全には避けられません。事故も感染症もゼロにはならない。だから医療者は必要になる。この「理想」と「現実」の間で揺れながら、それでも毎日診療を続ける。それが医療という仕事です。
現代社会では、ともすると「利益を出すこと」が絶対的な価値のように扱われることがあります。なんたって資本主義社会。原則は「利潤の追求」ですから。もちろん、利益は大切です。利益がなければ会社も病院も存続できません。しかし、利益 "だけ" を目的にすると、人は長期的には信用を失います。患者さんはこのあたりかなり敏感です。「この医師は本当に自分の健康を考えてくれているのか」「単に商売として診ているだけなのか」そういう空気は、意外と伝わるものです(そういった患者さんの意識を分析した論文というのは多数あります)。だからこそ医療者には、「利益」と「理念」の両立が求められる。これは簡単なことではありません。現実には経営もしなければならない。スタッフの生活も守らなければならない。最新医療を維持するには設備投資も必要です。それでもなお、「病気を予防したい」「患者さんに健康でいてほしい」という思いを失わないこと。それが医療の根っこにあるべき姿勢なのだと思います。
院長は、こういう “矛盾を引き受けながら働く人” に、敬意を持っています。彼らはある意味、「自分の利益だけでは動かないひと」ということになると思うからです。ヒトは放っておくと、どうしても短期的利益に流されます。しかし社会を長く支えているのは、結局こうした「矛盾」を真正面から引き受けている人たちのはず。
医療もまた、そのひとつ。病気はないほうがいい。患者さんは健康でいてほしい。できれば病院など来なくて済む人生がいい。それでも、病気になったとき、怪我をしたとき、不安になったとき。そこに医療者がいる。その役割を誠実に果たすこと。
矛盾を抱えながらも、本分を忘れないこと。それが、プロフェッショナルのあるべき姿なのかもしれません。
・・・なんでも相対的にとらえて揶揄したり、ひたすらわかりやすいモノをもてはやそうとする風潮がはびこる現代社会に少しだけ異議申し立てするために本日はこんなブログにしてみました。
