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医療現場では患者さんの声を聞くことがなにより大事ですが、「ありのまま」に受け取ってはいけないこともあるコトバもあります。

[2025.06.12]

院長は 3 年前までの 13 年間ほどにわたって がんの専門病院に勤務しておりました。その当時から、そして、この秦野北クリニックでも患者さんのハナシを聞くのは結構好きなほうだと思います。

家族のこと、仕事のこと、配偶者との馴れ初めやこれまでに経験した人生のチャンスはピンチなど。多くの患者さんは 48 歳である院長よりも人生経験が豊富ですので、患者さんのハナシはまるでラジオでお芝居を聴いているような気になることもあります。人生、波乱万丈です。

ただ、そんな人生経験豊富な患者さんのコトバでも、額面通りに受け止めて良い場合とそうでない場合があります。特に後者はどういった場合か。それは次のようなことをおっしゃった場合です。

「もう自分は十分生きたから、いつ死んでもいいんです」

これは、年齢を重ねたり、大きな病気をいくつか乗り越えたり、配偶者を看取ったり、人生にある程度の区切りを感じている方など。そんな方たちが、淡々と、あるいはどこか悟ったように口にすることがあるコトバです。

このコトバを額面通り受け止めてしまうと、医師としては「わかりました。ではすぐにおくすりをすべてやめましょう」と、一切の処方や検査から手を引いてしまう、ということになりますが、そんなことは普通しません。

「またまたぁ。◯◯ さん、まだまだいけますよ」とか言ってその場はいなすような感じになって診療は終わっていきます。院長に限らず、医療者はこの言葉を「ありのままに」受け止めてはいけないと思っているからです。

人間は、口にする言葉と心の奥底にある本音が、必ずしも一致しない生き物。

「もう十分生きた」のあとに、その日もしくは後日、ふと付け加えられる一言を聞くことがあります。

「でも、孫の成人式までは見届けたいかな」
「やっぱりもう少し頑張って、妻と金婚式を迎えたい」
「息子が修業から帰ってきて、自分が育てた和食屋を継いでくれたら…そこまでは何とか」

──「やっぱり」「もう少し」「◯◯ までは」

このような “条件付き” の希望が、少しずつ、ぽつりぽつりと語られ始めることが少なくありません。

実際には「まだ死にたくない」とは言いにくい。「周囲に迷惑をかけたくない」「治療で苦しい思いをしたくない」「みんなに気を使わせたくない」など、理性的な思いが “本音” を覆い隠してしまう。結果として出てくるのが、「もういつ死んでもいい」という、ある意味 “防御的な” コトバ。

このとき、医療者や家族の姿勢はとても重要で、もし患者さんの「もういいです」という言葉をそのまま肯定してしまうと、そこで会話は終わってしまうでしょう。本音にはたどり着けません。だからこそ、こちら側が耳を澄ませる必要があります。「行間」を汲んで、少し時間をかけてそっと問いかけてみる。

「でも、なにか心残りはないですか?」
「◯◯ さんが楽しみにしていることはありませんか?」
「もし、今より元気になれたら、どんなことをしたいですか?」

質問はその患者さんごとに異なりますが、こういったことを聞くことで、はじめて本当の思いが語られることはしばしばあります(特に男性の方は "素直ではない" ことが多い印象あるかも)。

人生の終わりを考えることは、「もう何も望まない」ということではありません。ヒトは、最期のときまで希望を持ちたい生き物。たとえば、長年苦労を共にしてきた配偶者との記念日を迎えたいという思い。病室で迎えるとしても、きちんと記念の食事を囲みたいという願い。あるいは、疎遠になっている家族と、もう一度だけ話がしたいという切なる願望。こうした「小さな希望」を実現することこそ、医療の現場でできる “人間的な支援” なのかもしれません。

そしてこういったことは病院という大きな機関よりも在宅医療やクリニックなど、「小回りの利く」施設こそ担えるだと思います。現在当院は在宅医療を積極的には行っておりませんが、ますますの高齢社会に突入するわが国では、そういった患者さんの "思い" の担い手がもう少し増えてもいいかもしれません(診療報酬的にはだんだん厳しくなると思いますが)。

「もう十分生きました」「いつ死んでもいいです」という言葉を口にした患者さんが数カ月後、自分が「この日までは」という行事に参加することができて「やっぱりあのとき抗がん剤をやってよかった」「すべてを諦めなくてよかった」と微笑む姿を院長は何度も出会ってきました。

だからこそ「患者さんがこう言っているのだから」と早合点せず、聴く耳を持ち続けること。
その人の「本当の願い」が顔を出す瞬間まで、丁寧に言葉を交わすこと。
そしてその願いを実現するために、医療ができることを惜しまないこと。

吹けば飛ぶような小さなクリニックですが、できれば当院はそういった医療を目指していきたいです。

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