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坂口志文 先生ノーベル生理学・医学賞、のニュースであらためて思い出した「科学とは・・・」の言葉。

[2025.10.07]

2018 年に京都大学の本庶佑(ほんじょ たすく)先生が「免疫反応にブレーキをかけるタンパク質の発見とそれを元にした画期的ながん治療薬の開発」という業績によりノーベル賞の栄誉に輝きました。免疫。よく日々の生活でも耳にしますね。「免疫力が低下」とか「免疫力をアップ!」とか。

では、免疫とはなんでしょう。免疫とは文字通り「疫(えき=病気)を免(まぬが)れる」、すなわち「病気にかからない」ということであり、免疫反応とはからだが病気を免れるために起こす反応であると一般的には考えられています。しかしながらこの免疫反応とはわれわれのからだにとって良いことだけをしてくれるのではなく、悪い結果となることもあります。

たとえばアレルギー。花粉やハウスダストに対して免疫反応が過剰に起こってしまうと(院長も春先はひどいもんですが)涙・鼻水・くしゃみなどのいわゆるアレルギー症状に悩まされることになります。また、「自己免疫疾患」と総称される病気の一群(関節リウマチなど)では自分自身の組織に対して免疫反応が起こってしまい、発熱や疼痛などがさまざまな部位に多発的に起こり、非常にやっかいな症状をもたらします(なかなか完全に治すのが難しい)。つまり、免疫反応がからだに良いことをしてくれればよいのですが、これは必ずしもそうではない、ということもある、ということです。

ここで、「自然免疫」と「獲得免疫」という言葉を紹介しておきます。この自然免疫。誤解されているヒトをネットでみかけます。もしかすると和訳が良くないのかも知れません。「自然免疫」は英語ですと "innate immunity"、すなわち "生まれつきの(=生まれたときにすでにもっている)免疫" という意味です。しかしながら、この「自然」という言葉がミスリードするのか、なんとなく「自然免疫が "良いもの"、獲得免疫は(不自然というふうにとらえてしまうのか)"悪いもの"」みたいに考えているヒトがいます。これは、院長の感想ですが、「ワクチン全般に反対意見を唱えるグループの方々」がよくおっしゃるようです。しかしながら獲得免疫というのは「生まれつきもっている免疫機構ではないものの、生後ワクチンなどを通じて特定の疾患や病原体に対して "極めて強くなることができる" 協力な免疫システム」です。このシステムがあるおかげでわれわれは現在、麻疹や日本脳炎、ポリオなどの疾患をこわがることなく生きていられる、ということをしっかり理解しておく必要があると思います。

その獲得免疫。これは "力が弱い" 自然免疫だけで異物排除ができなかったときにリンパ球と呼ばれる細胞(白血球の一種です)を主体とする "強い" 獲得免疫反応が動き出す、という感じで始まります。ただしこの免疫反応は、上述のように暴走しすぎるとよくないので、通常は異物が排除されると 1 週間くらいで次第に弱まりはじめ、やがて消失していきます。うまくできていますね。この「獲得免疫にかけるブレーキ」。主なものが昨日ノーベル賞に選出された 坂口志文 先生の研究により、その存在が示された制御性 T 細胞です。

このような細胞が生体内に存在するらしいことはすでに 1970 年代、オーストラリアの Peter McCullagh 氏、米国の Dick Gershon 氏らが報告していたのですが、その後はその実体がしっかりと証明されず、なんだかあやふやな概念となっていました。この細胞が本当に分子・遺伝子レベルで存在することを証明したのが今回ノーベル生理学・医学賞に選ばれた 坂口志文 先生です。

坂口先生はマウスを使って制御性 T 細胞が間違いなく存在することを示すデータを蓄積していたのですが、2003 年に重要な発見をして報告しています。それが FOXP3 と呼ばれる遺伝子です。これは「ヒトの制御性 T 細胞を作るマスター遺伝子」と呼ばれ、坂口先生は「この遺伝子に変異があると制御性 T 細胞が生成されなくなり、一方この遺伝子をふつうの T リンパ球に発現させると制御性 T 細胞のような機能を持つことになり、免疫反応を抑えるようになること」を示しました。素晴らしいですね。

この「免疫のブレーキ細胞」を "調節" できれば人類が苦しむアレルギー疾患の克服や、がん細胞が免疫システムから逃れられないようにしてがんの治療につながる、という創薬に大きなヒントを与える発見であったわけで、ノーベル賞受賞となったわけです。

院長は大学院時代、基礎実験はやりましたが本当にじっくり腰を据えてやったかというと否、です。学位論文もかなり臨床的な内容でした。ですので基礎医学の研究に邁進する先生方を心より尊敬しております。最近若い先生方があまり基礎実験をしない、という声を臨床系・基礎系の教室いずれからも聞かれます。「科学とは証明ではなく漸近である」という言葉があります。これは「真実をつかむ」ということは現在生きているわれわれはわからない、ということと同義です。というのは、のちに新たな "真実" が発見されて現在われわれが掴み取った、と思ったものが覆る、なんてことは往々にしてあるからです。

これは臨床でも同じ。患者さんの診療でわれわれが目指すものは「病名」という箱に患者さんをあてはめてその治療をする、というのではなくて「患者さんの訴え」「かかえている疾患」「診療の状況(外来なのか入院なのか、クリニックなのか病院なのか在宅なのか、患者さんの年齢や家族は?とか)」などを総合的に考慮して提案すること、というのがわれわれ医療者が目指すものでしょう。昨日の素晴らしいニュースを知ってそんなふうに考えました。

いずれにしても、坂口先生おめでとうございます!

(写真は本日の産経新聞 1 面です)

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