大学に入って初めて会話を交わした同級生と同じ診療科に進み、切磋琢磨し、現在は立場がだいぶかわりましたが出会った頃から変わらず尊敬しています。
[2026.03.27]
1995 年の東京医科歯科大学の入学式。神奈川の田舎から大学入学を機に東京・御茶ノ水に上京した院長は知り合いも全くおらず、大学の合格が決まったのも(後期日程だったので)3 月 23 日と年度末ギリギリ。あわてて入学手続きを 3 月 25 日くらいに済ませ、自宅にネットがなかった当時、東京のことを調べるなんてこともできずあわててスーツを購入して 4 月 5 日(だったかな?)の入学式に臨みました。
当時は 鈴木章夫 学長。東京医科歯科大学の大先輩、心臓外科の名医で、院長が医師になることを決めた漫画、手塚治虫 先生の『ブラック・ジャック』でも紹介された権威です。学長や医学部長のお言葉を頂き、午前中が終わると部活やサークルから熱い勧誘を受けました。そのときはなんとなく「中高とやってきたからなぁ」ということで剣道部に入ることをぼんやり考えていましたが、「英語はきちんと勉強したいなぁ」という思いがあり、医科歯科とお茶の水女子大学のインカレサークル、ESS(English Speaking Sociey)の勧誘に乗っかって部室に行ってみると、サンドイッチやジュースが置いてあり、上京して初めての食事を簡単な感じで済ませました。
そしてそのときはじめて同級生の彼と話すことになります。
彼は東京の千代田区の高校出身だそう。田舎出身の自分と異なり超・都会の学校です。当時は千代田区ってドコ、って感じでしたが。彼は物腰柔らかく、大変スマートでした。
彼の実家にはおそらくトータルで 1 年くらい、すなわち 365 日以上泊まらせていただいているはずです。数えたことはありませんが。
しかも彼はいつもクルマを出してくれたり、大学のテスト勉強でも不真面目な学習意欲の乏しい院長に根気よく勉強を教えてくれました。大学の数ある試験をクリアして留年せずに卒業できたのも、浪人せず医師国家試験に合格できたのも、彼の存在によるところが大きいです。
そして彼は院長と同じ東京医科歯科大学の泌尿器科学教室に共に入ることになります。最初は第二外科に行く、みたいなことを言っており、医学部 4 年くらいの頃から「泌尿器科に行くわ、オレ」と言っていた院長は、「あー、同じトコ来るんだー」くらいに卒業時点では思っていましたが、医師になってから彼とともに辛い辛い研修医生活を乗り越えることができたことは本当に良かった。
大学の研修医をお互い 1 年で終えたあと、院長は茨城県の土浦協同病院、彼は静岡県の浜松医療センターに転勤となりました。彼はその後埼玉医科大学総合医療センターで勤務したあとともに大学院に入り、米国 NIH(国立衛生研究所。世界で最も権威ある研究所のひとつで、もう 100 名以上のノーベル賞受賞者を輩出している医学研究の総本山です)に研究留学したのち長らく大学で活躍し、その論文数は 250 を超え、日本のみならず、世界における泌尿器科腫瘍学をリードするひとりとなっています。
そんな彼が先日当院に遊びに来てくれました。
東京科学大学腎泌尿器外科学教室 准教授 吉田宗一郎 先生。もう 30 年にわたる長い付き合いになります。最先端の学術と臨床の場 に対して 自分は臨床のみの場。お互い立ち位置はだいぶかわりましたがこれからも末永くよろしくお願いします。お互い健康に気をつけましょう。
(写真掲載について、吉田先生の許諾をいただいております)
