大正から昭和の大女優のエッセイを読みながら院長・師長として二人三脚で歩む夫婦生活を改めて考える。
患者さんに「先生には好きな芸能人とかいるんですか?」とか聞かれることがあります。自分のような中年男性にこんなことを聞いてくださるのはたいてい妙齢の女性。そういった方々におもねって答えているわけではないのですが、最近は「高峰秀子さんです」と答えるようにしています。1924 年に生まれ、2010 年にお亡くなりになった日本が誇る素晴らしい役者さんです。デビューが 5 歳(!)というのですからすごいですね。元祖子役とでも申しましょうか。
もともと高峰秀子さんを好きになったのは、『恍惚の人』とか『二十四の瞳』とか『衝動殺人 息子よ』など、昭和名作映画のなかで知った素晴らしい演技・・・ではなく、エッセイなんです。自分が高校のとき、教科書に「文章力」について述べた論説文がありました。そのなかで「大学の文学部に入っていても全く文章が上手くないひとの例」として、何かしらの大学生のレポートが掲載されており、それがまあ読んでいてちょっとこちらが困ってしまうようなヘタな文章でした。論説者は、そのヘタな文章の大学生に対するカウンターパートとして、「学校なんてろくに通っていないがこんなにスゴい文章を書くひと」の代表として、高峰秀子さんのエッセイを載せていたのです。論説の中で「文章に学歴なんて関係ねぇ」みたいなパンクな内容が書いてあり、当時院長はベストセラー『火車』(宮部みゆきさんの名作社会派ミステリ)を読んで作者が高卒だったことを知っていたので「確かに・・・」とか思っていました。
ちなみにその高峰秀子さんのエッセイタイトルは『黒』だったと記憶しています。そのなかでこんな内容(うろ覚えですみません)の文章が出てきます。そのなかで、
「黒を着るのはちょっと “かくご” のいることである」。
「人生の年輪を、黒一色で生かすか殺すかは、その人のセンス一つである」。
のような、読んでいるこちらも服を選ぶときに緊張してしまうような切れ味の鋭い文が並びます。ただ、そのなかで特に読み手の心を掴むのが
「白も黒の "のっぴきならない色" である」。
という一文。
「のっぴきならない」。国語辞典的には
「避けることもしりぞくこともできない。のがれることができない。動きがとれない。進退きわまる」という意味で、あまり色に当てはめる形容詞ではないように感じますが、そこが彼女のスゴいところ。完全に "色" を説明するフレーズとして使いこなしているのです。
そんな高峰秀子さんのエッセイで『骨と皮』というタイトルがあります。これも名文。映画監督であり脚本家の夫・松山善三さんと結婚して 21 年、夫婦そろって 50 歳という大台に乗ったことを契機にやがて訪れる「死」をどう始末(← この表現も粋な感じ)すべきか?ということについて秀子さんなりのユーモアに富んだ文体で綴られていきます。
しかしエッセイの終盤は金銭的なことでいろいろと大変だった養母とのことが哀しみも含んで語られ、最後はその養母に感謝のコトバとともに
私の口の中に、まだ「親知らず」は生えていない。
という文で "シメ" られています。これも切れ味バツグン。
ちなみに院長と師長も現在結婚 21 年が経過しました。高峰さんほどの一般のひとが味わえない経験はしていないように思いますが、エッセイを読んでいると「夫婦生活なんてどこも似たりよったりかも」と親近感が湧きます。これらが所収された『高峰秀子ベスト・エッセイ』。昭和の雰囲気が味わいたくなったら是非一読を。
