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学生時代に書いた文章がひょんなところから出てきて現在の自分の半分しか生きていないかつての自分を微笑ましく眺めるキモチになりました。

[2026.09.06]

学生は気楽です。突然どうした、と思われる冒頭ですが、まだ学生をやっているひとをみるとそう思います。大言壮語して夢を語っても、少々遅刻しても、1 週間前ともう言ってること違うじゃん、みたいな矛盾があっても「若い」というだけでなんとなく許容されてしまうチカラを持っています。若さって。

もうアラフィフですが、こんな院長でも若い頃はあったのです。自分勝手な夢を語り、芸能人や政治家をみては身勝手な基準でこきおろし、少しでも可愛い女の子がいる場では虚勢を張ってカッコつける・・・。赤面するような若い頃が。

そんな “若さ” ですが、若いひとというのは総じて「ベタ」を嫌うものです。少なくとも院長はそうでした。みんなと同じことをするのは、なんとなくカッコ悪い。誰もが選ぶ道ではなく、少し変わった道を歩きたい。ありきたりな価値観に収まらず、できれば「普通ではない人生」を送りたい。「選ぶよりも選ばれたい」的な、20 代とか 30 代なら誰もが考えるようなことです。

たとえば医学部 6 年生とか研修医になった頃、開業医のことを正直なところ、

「自分はああいう感じにはならないし、なりたくないなぁ」とか身勝手にも思っていました。大学病院やがんセンターのようなある意味 “キラキラした場所” で、新しい診療技術・研究に関わって医学生や若手医師に指導するような立場で颯爽と仕事をする。学会に出て、論文を読んで、世界の最先端を常に見据えながら仕事をする。

若い頃の院長にとっては、それこそが「医者らしい医者」の姿だったのだと思います。一方で、地域のクリニックで風邪の患者さんを診たり、血圧の薬を出したり、予防接種をしたりする開業医という仕事は、もちろん大切だとは思いながらも、自分の将来としてはあまり想像していませんでした。

ところがどうでしょう。46 歳になったときに秦野北クリニックを前院長から継ぎ、現在は若い頃に「なりたくないなぁ」と勝手に思っていた開業医になっているではありませんか。毎日血圧を測り、採血結果をみて、感冒様の症状を診て、糖尿病を診て、腰痛を診て、ときには子どもの皮膚を診て、もちろん専門である泌尿器科の患者さんを診ています。「最先端の医療から離れるのはイヤだなぁ」などと思っていた人間が、地域のクリニックで日々多くの患者さんと向き合っています。人生は、”ベタ” なものです。

住む場所についても同じように思います。学生時代は大学が文京区湯島、御茶ノ水駅至近という、極めて交通至便の立地でしたので、同じ文京区の西片という、だいぶ閑静な住宅地に住んでおりました。その頃は「将来は都内で文京区とか豊島区あたりの静かなところがいいなぁ(あまり田舎には住みたくないなぁ)」とか思っていました。東京の “何でもある感”が(神奈川から出てきた身にとっては)魅力的に見え、なによりも当時は 1 年で 50 回以上音楽のライブを観に行っていたので、そんな文化的な刺激を浴びられるところは東京しかありませんでした。有名病院も多数あって仕事の選択肢も多いですし。

それが現在は、秦野で開業し、朝から晩まで仕事しておりますので都内に行くことがめっきり少なくなりました。都心に出ようと思えば、電車で 1 時間以上かかってしまうのです。

ところが、実際にここに来てみると、これがなかなかよいのです。クリニックのある戸川という土地はすぐに山が見えます。外に出るまでもなく、窓から畑がみえます。わざわざクルマに乗ってスーパーに行かなくても歩いて 2-3 分の道端で農家の方が営んでいる無人販売所で、とれたての野菜が格安で手に入ります。

都会よりも空が広い。山が近い。水がおいしい(とくに秦野はそう)。都心のような「用意された自然」ではなく、ホンモノの山とか丘の自然を感じながらジョギングできます。そして何より、院長が毎日診療している患者さんたちが、この土地で暮らしています。

若い頃に想像していた「都会で格好よく生きる自分」とは、ずいぶん違う場所にたどり着きました。しかし不思議なことに、若い頃に想像していた未来より、今の生活のほうがずっと自分には合っているような気がします。

そう考えると人間とか人生というのは結局、ものすごく「ベタ」なものです。若い頃は、「人と違う人生を送りたい」「普通にはなりたくない」「ありがちな価値観には染まりたくない」などと思います。

しかし歳を重ねていくと、だんだん大切なものがシンプルになってきます。ご飯がおいしいこと。よく眠れること。好きにカラダを動かすことができること。家族が元気でいること。気の合う人と笑えること。そして医師としての自分の知識や経験を役立てることが出来、患者さんをはじめとする皆さんの役に立つこと。

こうやって並べてみると、驚くほどベタです。でも、おそらく人間が何千年も「幸せ」と呼んできたものは、結局こういうことかもしれません。

医療の世界でも似たところがあります。若い医師の頃は、どうしても「目を引く技術」に目が向きます。新しい創薬。最新の手術支援ロボット。遺伝子治療。手に取れるような感覚が得られる画像診断。

もちろん、それらは医学の進歩に欠かせません。院長も新しい技術を知るのは大変刺激的でそれらに大きく関わっているひとたちに今でも憧れに近い敬意を抱いております。しかし、地域医療をやっていると、それと同じくらい大切なのは、ずっと昔から言われている非常に「ベタ」なことだと気づきます。

血圧をきちんと測る。糖尿病を放置しない。タバコをやめる。適度に運動する。食べすぎない。よく眠る。必要な薬をきちんと飲む。異常があれば早めに受診する。まったく派手ではありません。医療関連のウェブ記事でもこんなベタなことがニュースになることもほとんどありません。でも、人の健康を守るという意味では、こうした「ベタなこと」の積み重ねが非常に大きいのです。

人生もきっと同じなのでしょう。一発の大きな打ち上げ花火みたいな出来事より、毎日の小さなこと。誰かに認められることより、自分が納得できること。格好よく見える人生より、自分が心地よく生きられる人生。

49歳になって、ようやくそんなことを思うようになりました。そして最近は、「もうベタでいいじゃないか」と思っています。地域で診療する開業医。家族と暮らす。地域に根を張る。患者さんの血圧を測り、風邪を診つつ総合診療医としての勉強と自分の専門である泌尿器科関連の勉強は怠らない。休みの日には体を動かし、本を読み、地場のおいしいものを食べる。できることなら健康で長く働く。ずいぶんベタな人生です。

でも、考えてみれば、それをちゃんと続けられることこそ、相当ありがたいことなのです。若い頃は「ベタになりたくない」と思っていました。49歳の現在はむしろ、「ヒトとはすべからくベタな存在なのだろうなぁ」と思っています。ほかのひとと違うことを無理に探さなくてもいい。誰かから「普通ですね」と言われたら、「そうなんですよ」と笑えるほうが楽です。家族。健康。仕事。友人。地域。日々の小さな楽しみ(それは院長の場合ほぼ読書)。それらが「ベタ」なのは、価値がないからではありません。むしろ、多くの人が長い人生の末にそこへ戻ってくるからこそ、ベタになったのだと思います。

もうすぐ院長も 50 代を迎えます。若い頃のように「人と違うこと」を証明するために生きるのではなく、自分が本当に大切だと思うものを、堂々と大切にしていきたいと思います。新しいことに挑戦する。医師としての勉強は継続する。知らない場所に積極的に行く(円安のせいで海外はキツいですが・・・)。やりたいこともまだまだあります。ただ、その土台にあるものは、拍子抜けするほど普通のこと。そんな人生ですが、誰かに「ベタじゃん」とか言われても「ええ、ベタで結構ですとも!」と胸を張って生きてまいります。

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