当院のような小さな事業所は大企業よりも "ひと" を大事にしないといけない、とこのブログを書きながら思いました。
[2026.06.10]
「24 時間、戦えますか〜♫」とか言っていたのがもう 37 年も前のことになるのですね。院長が小学校の頃。社会の動きが全くわからない(親は警察官と教師であまり景気がどうこうという仕事でなかったので)子どもだったので、「世の中がどんどん元気になっていく」みたいな雰囲気を味わうことはできませんでした。
このフレーズ、バブル時代の当時から「過労死を助長する」として、批判があったようです。当時は過労死数がなんと年間 1 万人。これは交通事故の死者数とほぼ同数で、社会のありようとしてはやや異様にも感じる数字です(ちなみに 2024 年に過労死認定されたのが 157 人、交通事故死者数は 2663 人なので、隔世の感があります)。
一方、現代は過労死の数は減ったものの、はたらくひとのメンタルヘルスについてはむしろその相談件数や治療に至る数は増加しています。その流れで、現在は 50 名以上の事業所で義務化されている「ストレスチェック」がすべての企業で義務化されることになりました。この義務化がいつ適用されるかはまだ政府も公表していませんが、2025 年 5 月に公布され、「3 年以内に実施」される、ということですのでおそらく 2028 年 4 月開始になるのではないかと言われています(「労働安全衛生法及び作業環境測定法の一部を改正する法律」の成立・公布)。このストレスチェック、常時使用する従業員には、正社員だけでなく、一定時間以上働くパートタイムなどの非正規労働者も対象に含まれます。派遣社員については、原則として派遣元企業が実施義務を負うそうです。また、小規模事業場への円滑な導入を図るため、地域産業保健センターなどによる面接指導の支援体制も強化される見込みです。これにより、制度運用の負担を抑えつつ、従業員のメンタルヘルス対策を効果的に実施できる体制が整います。今回は中小企業のメンタルヘルスについて考えてみましょう。
当院は院長を除いて 10 名程度の小さな事業所で、間違いなく中小企業です。現在、多くの中小企業経営者が「人手不足」・「採用難」という状況に向き合っています。こうしたなか、メンタルヘルス対策を「大企業の贅沢品」や「余裕がある時の福利厚生」と捉えて後回しにするのは危険です。厚生労働省の調査によれば、従業員 50 人以上の事業場では 94% がメンタルヘルス問題に対するなんらかの対策を講じている一方、30 人未満の小規模事業場では約半数に留まっています。小規模事業場の 34% が「取り組み方が分からない」と回答しているのが現状ですが、実はメンタル不調によるダメージをより致命的に、かつダイレクトに受けるのは、リソースの限られた中小企業のほう、と言われています。これは言うまでももなく、事業所のなかでひとりが担う仕事が多岐にわたり、そのひとりが心の健康を崩すことの影響が大企業よりも大きいからです。さらに注意すべきなのは、負の連鎖による組織崩壊のリスクです。ひとりの穴を埋めるために残されたスタッフに負荷が集中し、さらなる不調者を生む「メンタル不調の連鎖」は、中小規模の組織ほど容易に起こります。実際、支社長、次長、課長と順に過労で倒れ、最終的に支社が閉鎖に追い込まれた事例も(産業医が読む雑誌で)紹介されていました。はたらくひとのメンタルヘルスを守ることは、事業所にとって「優先度の高い投資」といえるかもしれません。
また、メンタルヘルス不調による病欠は長期化しやすく、1 ヶ月以上病欠した労働者の平均休業日数は約 5 ヶ月に及びます。しかし、経営者が直視すべきは、目に見える欠勤日数だけではありません。不調を抱えながら働くことによる劇的な生産性低下(プレゼンティーズム)や、復職後のリハビリ期間を含めると、実質的には「8ヶ月分」の労働損失が発生する、と試算している報告があります。 これを経営指標に当てはめると、たったひとりの休職が、その年度の営業利益を数%、あるいはそれ以上ダイレクトに押し下げる計算になります。さらに見過ごせないのが「キャッシュアウト」のリスクです。長時間労働を放置し、労災認定に至った場合、過去には 1 事案で数千万円以上の損害賠償を命じられた事例も存在します。ひとりの離脱を防ぐことは、数千万円規模の損失を回避する、極めて「利益率の高い投資」でもあると言えそうです。
職場のメンタルヘルス環境は、ここ 10 年で急激に悪化したと言われています。 日本経済新聞のデータによれば、特に 25〜34 歳の若手世代において、精神的な理由による傷病手当金の支給件数は最近 10 年で約 3 倍になっています。他の世代も上昇傾向にありますが、若手の角度の急峻さは際立っています。かつての「根性論」が通用しない背景には、SNS 等により常に周囲の視線にさらされる環境や、価値観の多様化があります。 多くの小規模事業所が「取り組み方が分からない」と足踏みしている間に、貴重な若手人材は静かに心を折られ、戦列を離脱していきます。時代の変化に合わせた管理体制へのアップデートは、もはや「待ったなし」の課題ともいえます。
スウェーデンの心理学者カラセックの研究結果によると、「ストレスの最大の要因は、業務量ではなく "自分の意思でコントロールできない裁量権のなさ" にある」そうです。上司の判断待ちで仕事が止まるストレスや、「やらされ仕事」の徒労感こそが、最も社員を疲弊させる、ということを組織のトップは考えたほうが良いようです。仕事についての上司からの要求度が高く、なおかつ自らのコントロール度が低い状態だと、うつ傾向になる可能性が 40% 増加し、メンタルの影響は身体にも及び、心疾患を来す確率も増加するそうです。こわいですね。
さらに介護・運輸・建設、さらにはわれわれの業界、医療といったエッセンシャルワークにおけるメンタルケアは「人命」に直結します。これらの現場は多くの場合、当院を含めた中小企業が支えていますが、同時に「一歩間違えれば重大事故」という大きなストレス下にある職場でもあります。ミスを叱責で封じ込めれば、現場は萎縮し、さらに大きな事故を招きます。心の健康を整えることは、事業を停止させかねない重大トラブルを防ぐための、最も合理的で安価な安全対策であり、特にクリニックのような小さいながらも医療現場の最前線とも言うべき場所では、トップは患者さんの診療と同じくらい熱心に「風通しのよい職場づくり」を考えなければならないのかも知れません。
・・・と自分で書いていて心配になってきました。まもなく、2030 年には、日本全体で千葉県の人口に匹敵する「644 万人」の労働力が不足すると予測されています。この時代を生き抜くために「選ばれるクリニック」の条件は明確で、"スタッフが心身ともに健康で、自らの裁量を発揮しながら長く活躍できる環境を提供している" ことに尽きると思います。経営については開業してから自分なりに勉強してきているつもりですが、なかなか思うようにはいかず、苦戦する日々です。当院を開業するときに掲げたモットーのなかで「スタッフを守るクリニック」を盛り込みました。このことをもう一度思い直し、当院スタッフがより前向きに働いてくれるように努力してまいります。彼らが秦野北クリニックを「このクリニックは・・・」ではなく「ウチのクリニックは・・・」と自然に言うようになるといいな。
