"彼/彼女がそこにいるだけ" で心が軽くなるーいきものと共に生きる効用とその条件について考えてみる。
これまでにブログで何回か紹介した、ウチの柴犬、マル。今年 14 歳でだいぶ年を取ってきたせいか、階段をのぼるときに足をすべらせることが多くなってきました。柴犬は足を脱臼しやすいと聞いているので心配ですが、院長が診察を終えて帰ってくるとありがたいことに「おかえり」みたいな感じで出迎えてくれるような表情をするのでついつい一緒に遊んでしまい、ボールなどを走って取りに行かせてしまいます。素直でおとなしい性格で、なんとなく飼い主にあまり似なくてよかったなぁといつも感じております。
年齢からしたら立派な高齢犬です。だいぶ寝ている時間が増えました。それでも、彼の顔を見て背中を少し撫でる。それだけで、一日の疲れがわずかに軽くなるような感覚があります。有名な研究で「カップルが動物を飼うとふたりが不安や不満を感じる頻度・時間が減って関係が長く続く」というものがあります。さらに医療分野では「アニマルセラピー」として、その効用が確立しつつあります。これには 2 つのアプローチがあり、ひとつは「動物との交流を通じて生活の質や楽しみを高める活動」と、「医療・福祉の専門職が目標を定めて治療計画に組み込む動物介在療法」です。国際的にも、単なる「動物とのふれあい」と、評価可能な治療としての介入を区別し、用語や実施基準を整えようという動きが進んでいます。精神科領域では動物と触れ合うことでうつ病患者さんの表情が改善する、誰かと話してみようと思える機会が増える、統合失調症患者さんでも社会復帰リハビリに積極的に取り組ようになりやすい、など。高齢者の抑うつに対する 2024 年のメタ解析(さまざまな研究をひとつにまとめた解析)では、動物介在療法に中等度の効果が認められ、リハビリテーション患者を対象とした無作為化比較試験でも、通常のリハビリに犬とのセッションを加えた群で、不安や生活の質の改善が報告されました。もっとも、研究規模が小さい、介入方法が統一されていない、長期効果が十分に検証されていない、といった課題も指摘されていますが。
最近、「ひき逃げして逃走した犯人を、警察犬による追跡が功を奏して犯人検挙にいたった」というニュースを観ましたが、こういった「動物の活用」はもっと医療のなかに組み入れられてもいいように思います。そのために必要なことを考えてみましょう。
第一に、「何となく癒やされた」で終わらせず、目的を明確にすることです。これはどんな研究もそうですが、「数字で言う」ことが求められ、なおかつわかりやすいからです。たとえば認知症の患者さんであれば、笑顔が増えたかだけでなく、拒薬や興奮が減ったか、睡眠が整ったか、介護者との会話が増えたかを数値で評価する。リハビリ患者さんであれば、たとえば「犬にボールを渡す動作」を上肢訓練に組み込み、歩行距離や理学的な作業の達成度を数値化する。小児医療であれば、採血や処置に伴う不安・疼痛をスケールにより記録する。つまり、動物を「癒やしの象徴」として置くのではなく、治療目標、頻度、時間、評価方法を決めた医療プログラムへ育てる必要があります。
第二に、「患者さんと動物の相性」を重視することです。犬が好きな人にとって、犬の存在は安心になります。しかし、犬が怖い人、過去に咬まれた経験がある人、アレルギーのある人にとっては、逆にストレスとなります。猫のほうが落ち着く人もいれば、馬との関わりによって姿勢や自己効力感が引き出される人もいるでしょう。「動物なら何でもよい」ではなく、患者さんの希望、病状、文化的背景、感染リスク、治療目標を踏まえて選ぶ。将来は薬剤選択と同じように、誰に、どの動物と、どの程度の接触が適しているかを判断する「適応」の考え方が重要になります。
第三に、安全管理を「善意」ではなく標準手順にすることです。医療施設では、動物由来感染症、薬剤耐性菌、咬傷、アレルギーなどを無視できません。参加動物の健康診断、ワクチンや寄生虫対策、清潔管理、ハンドラー教育、接触後の手指衛生、立ち入り区域の設定、免疫抑制患者への個別判断などが必要です。CDC(米国疾病センター) も、健康で清潔に管理され、行動が安定した動物を用いること、訓練されたハンドラーが監督すること、接触後の手指衛生を徹底することを勧めています。
第四に、本物の動物だけに限定しないことです。重度のアレルギーがある。感染管理上の制約が強い。動物を安定して派遣できない。そのような場面では、動物型ロボットや仮想現実が選択肢になります。ただし、ロボットを本物の動物の安価な代用品と考えるのではなく、患者さんの条件に応じた補完的な手段と位置づけるべきでしょう。高齢者の抑うつに関するメタ解析では、生きた動物を用いる介入には効果が示された一方、ペット型ロボットの効果は明確ではなく、現時点では使い分けの根拠をさらに蓄積する必要があります。
そして最後に必要なのは、アニマルセラピーを「薬の代わり」にしないことです。うつ病の薬物療法、認知症のケア、疼痛治療、リハビリテーションをやめて、犬に会えばよいという話ではありません。動物の役割は、標準治療を置き換えることではなく、ヒトが標準治療に向き合うための橋を架けることです。緊張して言葉が出ない子どもと医療者の間に入る。意欲を失った高齢者が立ち上がる理由をつくる。終末期の患者さんに、病人としてではない時間を取り戻してもらう。そうした役割こそ、数値だけでは測り切れないものの、医療にとって大切なのではないでしょうか。
ウチのマルは、セラピードッグではありません。訓練を受けているわけでもありません。ただ、彼が静かにそこにいるだけで、家の空気が少し柔らかくなります。今後のアニマルセラピーに必要なのは、この「そこにいるだけで生まれる力」を美談のままにせず、科学的に検証し、安全に届け、しかも動物を疲弊させない仕組みに変えていくことでしょう。
こうなると、特に動物に限らずあらゆる「癒し」を診療に活用できないか、と考えるのも面白いように思います。実際にアロマテラピーや瞑想、マインドフルネスなどについては研究が多くあります。ただ、こういった論文はやや失礼な言い方になりますが、「マユツバ」な内容が多く、国内では特に「おカネ儲け主義と揶揄されかねないトンデモ医療」的なニオイがするような施設で提供されていることが多い印象があります。個人的には、こういった研究は現在数多くある医療系学部のなかで医学科ではない領域(看護学部・保健医療学部・医療福祉学部など)がきちんと倫理指針に則って行い、査読のある英文誌に得られた知見をどんどん掲載する、みたいなサイクルができれば「新設の医療系大学は F ランだから存在価値が云々・・・」などの乱暴な議論は少なくなるのではないかと愚考します。
医療が高度化すればするほど、画像、数値、遺伝子、人工知能の情報は増えていきます。しかし、人間が弱ったときに頼りたくなるのは "血の通った生命" であるような気がします。
とりあえず、マル、長生きしてください。
