持ち点が 30 点として、それぞれ満点が 10 点の項目 4 つをどのように点数をつけていくのかをまさに "今" 問われています。
ここ 10 年以上にわたってずっと人気が続く医学部。その地域枠の是非についてここ数日語ってみました。きっかけは下記のようなニュースです。
山梨県の地域枠医師がプログラムを離脱した際に、修学資金返還とは別に約 842 万円の違約金を課す契約条項について、甲府地裁は「医師の将来のキャリア選択を大きく阻害する不当条項」として差し止めを認めました。地裁は、修学資金と利息の返還で県の損害は十分に補填され、他自治体に同様の違約金制度がない点も踏まえ、違約金の必要性を否定したそうです。
一方、県は離脱防止と代替医師確保のため必要だとして控訴する方針を示したとのこと。なお、違約金条項は 2021 年度以降の入学者が対象で、該当学生はまだ卒業しておりません。消費者機構日本が差し止めを求めて提訴し、今回の判決に至っています。
まず医学の地域枠(一般入試とは別枠で一定数の学生を入学させ、卒後 10 年程度、大学のある県内での勤務を課す)ですが、院長の考えとしては、「(今回のような問題は今後も必ず起こっていくので)原則反対」です。18 歳というまだまだ考え方や将来への展望が定まっているとはとてもいえない年齢の若者に対して医学部 6 年 + 卒後 10 年の「若さあふれる 16 年」もの期間を同一県内のみで過ごさせる、というのはやや酷ではないかと思うからです。このあたりは賛否あるところでしょうが。
こういった報道を目にすると、そろそろ「行政に守られたままの(保険)医療」も現行の制度ではとてもたちゆかないのでは、と思います。どんな分野でも、「行政に守られた業界は発展が遅くなる」ということがあります。歴史を振り返ると、価格決定や異業種参入が強く規制された産業は競争が働きにくく、技術革新やサービス改善のスピードが落ちがち。一方で電気通信、航空、金融など、規制緩和によって一気にサービスが変わった分野はいくつもあります。特に IT などは 1 日として歩みを止めずに変革し続けるスピード感のある企業こそが GAFAM になってきました。
医療もほかの産業と比べて例外ではないはずです。日本の医療は保険診療という枠組みの中で、価格(診療報酬)がほぼ一律に決められています。医療機関が「より良い医療を提供したから、値段を上げる」「新しい試みをしたから自由に価格設定する」ということはできません。その意味で、わが国の医療は「市場原理が働きにくい業界」です。この点だけを見れば、「医療は発展が遅れる構造を持っている」と言われても、あながち間違いではないでしょう。
ただし、ここで話は終わりません。医療は、スマートフォンや家電とは決定的に違います。医療は「なくても困らないサービス」ではなく、「なければ命や生活が成り立たないもの」です。つまり、医療は公共財(社会全体で守るべきもの)という側面を強く持っています。
もし医療を完全に市場に任せたら、どうなるでしょうか。採算が合わない地域、つまり人口が少ない非都市部では、医療機関は成り立たなくなります。高齢者が多く、医療需要は高いのに、支払い能力は低い。これは市場原理から見れば「撤退すべき場所」になってしまいます。
しかし、現実には「撤退」で済ませるわけにはいきません。非都市部に住む人も、都市部に住む人と同じように病気になります。救急も必要ですし、慢性疾患の管理も必要です。ここにこそ、行政の役割があります。税金や公的資金を使ってでも医療を維持する。
これは「非効率」ではなく、「社会として選んでいる価値観」だと言えます。
問題は、その介入の仕方と度合いです。行政が強く関与すれば、確かに最低限の医療は守れます。しかしその一方で、現場の自由度は下がり、医療者の裁量は制限されます。結果として、「やりがいのある働き方」「新しい挑戦」がしにくくなり、医療者の疲弊につながることもあります。逆に、自由競争を強めれば、都市部では医療の質が上がり、便利になり、選択肢も増えるでしょう。しかしその代償として、地域間格差は確実に広がります。
ここで大切なのは、「どちらが正しいか」を決めることではありません。
どちらにも明確なメリットとデメリットがある、という現実を直視することです。
医療政策を考えるとき、常に 4 つの要素が天秤にかけられています。
A 医療の質
B 医療へのアクセス
C 医療費(国民負担)
D 医療者の待遇
この 4 つです。直感的には、「全部大事だから、全部良くすればいい」と思いたくなります。しかし、残念ながらこれは成り立ちません。世界中どの国でも、どこかで必ずトレードオフ(引き換え)が起きています。
医療の質を極限まで高めようとすれば、コストは上がります。
医療へのアクセスを全国どこでも完璧に保証しようとすれば、人もお金も必要になります。
医療費を抑えようとすれば、医療者の待遇や医療の選択肢は制限されます。
医療者の待遇を大きく改善すれば、どこかで負担は増えます。
つまり、4 つすべてを完璧にすることは不可能なのです。
院長は、これまでの日本における医療は D. のわれわれ医療者に対する待遇を犠牲にしすぎた面がないか、と感じています。夜中でも患者さんになにかあれば病院に駆けつけ、時間外でも患者さんの家族に病状説明をし、当直という名でアタリマエのように 32 時間連続業務をさせ、その翌日に代休もくれない。院長の世代やその上の世代ではアタリマエだったこのような待遇が、現在の若手医師ならびに医学生に受け入れられ続けるとは到底思えません。
この 4 つの要素を考えるとき、本当に必要なのは、「夢のような正解」を探すことではありません。「どこを、どの程度、割り引くのか」を社会全体で正面から議論することです。
たとえば、
「非都市部ではアクセスを最優先し、医療者には一定の制約(住所など)を受容してもらう」
「都市部では競争と自由度を高め、その代わり医療費は多少高くなることを受け入れる」
「経験年数や専門医取得有無により一定の医療費負担に変化をつけ、高騰分の医療費は医療の受け手が担う」などの現実的な線引きが議論されるべきではないでしょうか。
医療は、善意や理想論だけでは回りません。同時に、効率や市場原理だけでも守れません。だからこそ、医療はいつも難しく、そして面白い分野なのだと思います。社会は、われわれはどこを、どのくらい割り引くのか。この問いから目を背けず、感情論でも二項対立でもなく、冷静に、しかし人の暮らしを想像しながら議論していくこと。それこそが、これからの医療に本当に求められている姿勢ではないでしょうか。
とりあえず院長はどんな世の中になっても患者さんに選んでもらえるように引き続き学びを続けていきたいと思っております。そんな気持ちで最近陪席させていただいている超音波検査室に本日も行って勉強してまいりました。エコーって簡便ですが本当にいいツールです。明日はそんなエコーについて私見を述べたいと思います。
