メニュー

新しい時流を見極めることは大切ですが、一方で "古いモノをすべて否定する姿勢" は避けるべきで、温故知新というコトバは常に持っていきたいです。

[2026.08.29]

手塚治虫 先生の名作、『陽だまりの樹』。手塚先生の曽祖父にあたる実在の医師、手塚良仙の人生を、直情径行の愛すべき武士・伊武谷万二郎の生涯とともに描く大スペクタクルです。心から尊敬する手塚治虫先生作品のなかでもひときわ大好きで、これまでおそらく 100 回以上読了しています。

ただ、そのなかで登場する幕府お抱えの漢方医の描かれ方だけはどうしても残念に思えてしまいます。漫画的な手法としてわかりやすく描くためとはいえ、

"蘭方医ー新進気鋭で新しい医学の技術を積極的に取り入れる医師"

"漢方医ー旧態依然とした古代中国医学の範疇を脱しきれずにひたすら旧弊のなかで生きる不勉強な医師"

というあまりにも単純な二項対立図式になっているからです。ただ、この作品の影響、というわけではないでしょうが、その後の漢方医学は西洋医学の隆盛とともに「冬の時代」を迎えます。

日本では「明治維新によりこれまで手を合わせて拝んでいた仏像をいきなり漬物石にした(廃仏毀釈)」り、「太平洋戦争の終戦によりそれまで神国不滅のスローガンで行動していた国民が急に左翼的にな」ったりすることがありました。「昔のものを切り捨て、新しいものに(ときにそれは臆面もない感じで)乗り換える」という国民性です。

そんなことを思い出させたのが、一昨日・昨日と本ブログで語った魚豊先生の『チ。―地球の運動について―』。これを読んでいると、どうしても「(古い)天動説はダメな学説で(新しい)地動説こそがすべて正解」という対立に目が向きます。しかしこの時代にわれわれが生きていたとして本当にこのように考えることができたのでしょうか。

現代に生きる私たちは、地球が太陽の周囲を回っていることを知っています。ですから物語の中で天動説を守ろうとする人々を見ると、つい、「昔の人はこんな間違ったことを信じていたのか」と思ってしまいます。しかし、少し立ち止まって考えてみると、天動説というものは、当時の人々が何の根拠もなく信じていた荒唐無稽な迷信だったわけではありません。ここが、科学というものを考えるうえで非常に面白いところだと思います。

私たちが地上から空を見れば、太陽は東から昇って西へ沈みます。夜になれば星々が空を移動していきます。自分の足元にある大地が高速で動いている感覚など、まったくありません。純粋に日常的な観察だけから世界を考えるのであれば、「地球は止まっていて、その周囲を天体が動いている」と考えることには、それなりの合理性があります。

しかも古代から中世にかけての天動説は、単に「空がぐるぐる回っています」という程度の素朴な考えではありませんでした。惑星が時に逆方向へ動いて見える「逆行」のような複雑な現象も含め、当時の人々は観測結果と理論をできるだけ一致させようと工夫を重ねていました。つまり天動説とは、当時の観測技術と知識の範囲で世界を説明しようとした、一つの精緻なモデルだったのです。

もちろん、現在の科学から見れば宇宙の理解として正しいわけではありません。しかし、「現在から見れば間違っている」ことと、「その時代においてまったく合理性がなかった」ことは同じではありません。ここは分けて考える必要があります。

医学の歴史を見ても同じです。現在では行われなくなった治療がたくさんあります。昔の教科書を読むと、「そんな治療をしていたのか」と驚くことがあります。しかし、その時代の医師たちが皆、非科学的だったわけではありません。その時点で得られた知識、観察手段、検査技術、統計学、薬剤のなかで、最もよい方法を探していたはずです。その後、新しい観察方法、新しい薬、新しい画像診断法などが出現します。そして昨日まで「正しい」とされていた治療が更新されていく。これこそ科学の大切なところで、ある臨床医はこのことを「科学とは "漸近" である(徐々に真実に近づいていくもので、"ゼロ・ひゃく" のハナシではない、ということ)」と表現しました。

そしてそんなことから漢方医学についても思いがよぎりました。今でもいろいろな医師に「漢方医学を学んでいます」と言うと、「え・・・?そんな旧態依然の経験医学やってどうするの・・・?」みたいな露骨にネガティブな態度を示されることがあります。

古いからもちろん現代から考えるとそぐわないところもあります。がしかし、古いから間違っているわけでもないのです。重要なのは、実際の臨床、特に患者さんの診療において役立つのか。そして、なぜ役に立つのか。を現在の方法論で検証していくことではないでしょうか。

ときに「漢方はまだまだ現代医学の枠組みでその作用機序が完全に説明できていないからダメ」みたいな意見をいただくことがあります。ただ、これにも違和感があり、医学の歴史を振り返れば「臨床的には有用性が知られていたものの、その仕組みが後から明らかになった医療知識・技術」はいくらでもあります(たとえば毎日のようにどこかで行われている「全身麻酔」この「麻酔でヒトが意識を失い、その後覚醒する仕組みの "コアな麻酔薬理学" はいまだ未解明です。経験上「こうすれば眠らせることができてこうすれば起こすことができるから使っている」に過ぎません。飛行機もなぜ飛ぶのか物理学的にわかりやすく計算で示すことは難しい、とかつて大学教養部の物理教授が言っていました)。臨床医学では、現象を観察することと、機序を説明することは必ずしも同時には進みません。

漢方医学が長い年月をかけて積み上げてきたものの中には、「こういう患者さんに、こういう処方をすると具合がよくなることがある」という膨大な臨床経験があります。それを、「昔の人が考えた理屈だから」という理由だけで全部捨ててしまうのも、医学徒として適切な態度とは言えないでしょう。面白い現象があるなら調べる。効果がありそうなら比較する。作用機序が分からなければ研究する。副作用があるなら定量化する。つまり漢方に限らず医学に対するアプローチとして必要なのは、信奉でも否定でもなく、"検証する姿勢" だと思います。

そもそも院長は、「西洋医学か漢方か」という対立構造自体にあまり意味がないと思っています。患者さんを目の前にしたときに重要なのは、その治療が西洋由来か東洋由来かではありません。その患者さんにとって、有効性が期待できるか。安全性はどうか。ほかによりよい治療がないか。費用はどうか。患者さん自身が望んでいる診療内容に沿っているか。そうしたことを総合的に考えて治療を選ぶべきだと思います。

細菌感染症に適切な抗菌薬が必要なら、抗菌薬を使えばよい。手術でしか治せない病気なら、手術を薦めるべきです。一方、現代医学の治療だけでは十分に症状を取りきれない患者さんに、漢方薬という選択肢があります。そこで大切なのは、「漢方だから使う」のでも、「漢方だから使わない」のでもない。患者さんにとって有用だから使う、ということです。

『チ。』を浅〜く読めば、「天動説という間違った考えを捨て、地動説という正しい考えに到達した物語」とまとめることもできるでしょう。しかし院長には、それ以上の物語に思えました。人間は、その時代に得られる証拠から世界のモデルを作る。そのモデルはかなりうまく機能することもある。しかし、新しい観察が現れれば、モデルを修正する必要が出てくる。そして何より難しいのは、自分が長く信じてきた説明を手放すことです。

医学も同じで、西洋医学であろうが漢方医学であろうが、特定の理論を信奉することが目的ではありません。目の前の患者さんに起きていることをできるだけ正確に観察し、仮説を立て、検証し、よりよい説明や治療が見つかれば更新していく。それが医学の基本だと思います。

だから漢方医学を、「昔の医学だから西洋医学より劣っている」と見くびる必要もありません。逆に、「昔から続いているのだから優れている」と持ち上げる必要もありません。役に立つものは、きちんと認める。そして現在の科学の方法を使って、その有効性と限界、安全性を確かめていく。効かなければ、それも受け入れる。従来の説明が間違っていれば、説明を更新する。それでよいのではないでしょうか。

天動説から地動説へと人類の世界観が更新されてく途中で "天動説において考え抜かれた論理" が人類としての科学的進歩に役立ったように、医学もまた、完成した答えではなく、絶えず書き換えられていく途中の学問なのだと思います。その意味では、2000 年近くも前から存在が確認されているほど "古い" 治療薬である漢方が、少なくともある病態には間違いなく一定の効果を示すことはたいしたものだと思うのです。

・・・9 月になったら漢方専門医試験に出願する予定です。ついつい最近は漢方のことばかり考えてしまい、漫画を読んでいてもこんな感想になってしまいました。ご容赦ください。

HOME

ブログカレンダー

2026年10月
月 火 水 木 金 土 日
« 9月    
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031  
▲ ページのトップに戻る

Close

HOME

AIチャットに質問