昨日は本邦初のイネ先生について述べましたが本日は世界初の女性医師と呼ばれる人物について。
本日付の産経新聞第 1 面に「男女雇用機会均等法成立 40 年」と題して日本における「初の女性」として活躍したひとの紹介がありました。政党党首として初めて ⇒ 土井たか子さん、日本人国連難民高等弁務官として初めて ⇒ 緒方貞子さん、東京都知事として初めて ⇒ 小池百合子さん、経団連副会長として初めて ⇒ 南場智子さん、検事総長として初めて ⇒ 畝本直美さん の 5 名が紹介されておりました。しかし一方で 2020 年の女性給与水準は男性を 100 とすると 74.3 とし、新聞見出しでも「女性雇用環境 改善道半ば」とありました。
現在トランプが米国で政権をとってから、これまで「正しい」とされていたダイバーシティや SDGs などに対する厳しい揺り返しが起こっており、今後世の中がどのように進んでいくか不透明なところがありますが、性別によらず女性が男性と(特に機会において)平等に扱われる、ということは変わらず目指すべきゴールとすべきテーマと考えています。
現在日本のハナシは置いておいて、というか多分置きっぱなしにしますが、「世界で最初の女性医師」と呼ばれる伝説の人物をご存知でしょうか?名前はアグノディケ(Agnodice)。今から 2000 年以上も昔、紀元前 4 世紀頃の古代ギリシャ・アテネの女性です。あまり日本では有名なひとではなく、Wikipedia も日本語版がまだ作成されておりませんでした。
このひとは伝説的な人なので、全てが史実かは全くわかりません。おそらくかなり脚色もあると思われます。しかしながら、今日の女性医師の存在を語るとき、このアグノディケという名を抜きにすることはできません。なにせ、「女性が医者になること自体が法律で禁止されていた」時代に、命がけで医学を学び、患者さんを救い、最後には法律まで変えてしまったというひとなので。すごいですね。
今日はそんなアグノディケを簡単に紹介してみます。医療従事者として、そしてひとりの人間として、彼女の勇気から学ぶことは多いはずです。
古代ギリシャは哲学や芸術が花開いた時代ではありますが、こと「女性の権利」という面では非常に制限の強い社会でした。当時のアテネでは、「女性が医者になる」ことが法律で禁じられていたのです。理由は単純で、女性が勉強すること自体が望ましくないとされていたためです。
にも関わらず、古代ギリシャでは、「女性が、病気や妊娠・出産であっても陰部を男性医師に診てもらうのは "恥" とされ」ていました。そのため妊婦のなかには診察を拒否して命を落とす女性もいたという記録もあります。
そんな中で登場するのがアグノディケ。裕福な家の出身だったとされますが、目の前で苦しむ女性たちを助けたいという思いから、医師になることを決意します。しかし上で述べたように「女性が医師になるのは違法」。そこで彼女がとった行動が、男装して医学を学ぶというものでした。
当時、有名な医師かつ医術の指導者として名を馳せていたのが昨日のブログでも紹介したヒポクラテスやその流れをくむ弟子たち。アグノディケは男に変装し、なんと男性として正式に医学を学びます。古くは『とりかへばや物語』、最近完結したマンガなら『風光る』(女性が男装して新選組に入るというストーリー)など、フィクションにありそうなドラマチックな展開です。
無事に医学を修めたアグノディケは、「男性医師」として街に出て診療を始めます。ところが、診察の対象はやはり女性たち。彼女は「本当は女性」であることを、患者さんにだけは打ち明けていたようです。それを知った女性たちは大喜び。だって、本当の意味で自分たちの身体の悩みに寄り添ってくれる医師が現れたのですから。アグノディケはまたたく間に女性患者に大人気の医師になります。…ところが、ここで問題が。
アグノディケの人気を男性医師たちが嫉妬したのです。
「なんであいつだけあんなに患者に好かれてるんだ?」「なにか裏があるに違いない」
そんな疑念が渦巻き、ついには彼女が女性患者と不適切な関係を持っているのではないかと疑われ、訴えられてしまいます(現代でもどこかで聞くような話…人気者が嫉妬されて余計なトラブルに巻き込まれるというのは古今東西あまり変わりがないようです)。
そしてアグノディケは裁判にかけられることになります。その場で、彼女は勇気を出して「私は女性です!」とカミングアウト!当然、会場は騒然。なにせ、法律違反ですから。
「女が医師になるなんてけしからん!」「法を破ったんだから死刑だ!」という声が上がります。
でも、ここで思わぬ展開が。
アグノディケの診察を受けて命を救われた女性たちが、裁判所に押しかけてきたのです。
「アグノディケがいなかったら私は死んでいた!」
「男性医師には相談できなかった悩みを、彼女には話せた」
「彼女は女性のために戦ってくれた、何が悪い!」と。
こうした声が広がり、なんと最終的には法律が改正されることになります。
「女性が女性患者を診療すること」は合法と認められるようになったのです。
つまり、アグノディケは自分の行動によって、古代ギリシャにおける女性医療の第一歩を切り拓いたというわけです。
このアグノディケの物語は、「女性医師の先駆け」として語られることが多いのですが、そこに込められているのはもっと深いテーマです。
「本当に困っている人の声に耳を傾けること」
「制度や常識がそれを妨げるとき、どちらを選ぶべきか」
「命を守るという行為に、性別を含めた立場は関係あるのか」
時代が変わっても、こうした問いかけは今なお現代医療の現場に生きています。
日本でもかつては「女性が医師になったら結婚をふくめたプライベートはあきらめないといけない」「女性は外科医には向かない」「女性は内科や外科より皮膚科や眼科を選ぶから医学生で女性が多くなると日本の医療は立ち行かなくなる・・・」といった偏見がありました。院長が医学生の頃、
「ウチの医局は何人志望してきても 1 年に女は 2 人までしかとらないから。」
女性の同級生もいる飲み会の場で平然と言ってのける外科系診療科の講師もいました。けれども今では女性医師はあたりまえ。かつては男性医師ばかりのイメージだった泌尿器科も、学会場にいくとたくさんの若い女性が登壇・発表する時代となりました。アグノディケが命をかけて示した「勇気」は、確かに私たちの医療の原点にある気がするのです。
アグノディケの物語は、ローマの詩人ヒギヌスの『寓話集』に登場するもので、史実としての裏付けは薄いともいわれます。でも、医療の歴史を語るとき、この物語が受け継がれてきたという事実の方が大切なのかもしれません。
「性別を超えて患者に寄り添おうとした人がいた」
「命を守るためには、時には法律や常識にも抗うべきときがある」
そんなメッセージを、2000 年の時を超えて伝えてくれているのです。
医療に関わる者として、そして現代に生きる一人の人間として、彼女のように「目の前で苦しむ患者さんの声をきちんと聴く」。これを大事にしていきたいと思います。
写真は本日の読売新聞 1 面の一部です。