最近の新聞はむかしよりページ数が減って大きな広告が増えたのでちょっと目を通すとすぐに読了できる印象です。
昨今、新聞やテレビが「オールドメディア」と揶揄されることが多くなってきました。学生時代から結構新聞を読んできたほうの人間だったので、20-30 年前とは隔世の感があります。最近「オールドメディア側のひと」が「SNS やネット情報は誤っても謝罪しない。われわれはちゃんとする」と言っていましたが、吉田清治の "ほぼすべての内容がウソであった日本の戦争犯罪デッチ上げ証言" をもとに大量に書き、流布したことひとつを取ってみても「その言いっぷりはなかなか苦しいなぁ・・・」思ってしまいました(一応「2014 年 12 月 22 日 朝日新聞社第三者委員会」という書類はフリーで PDF を読めるのですが、こんなものをじっくり読むひとなどどのくらいいるでしょうか・・・)。
院長は天の邪鬼なところがあるので、新聞がオールドメディアと言われれば言われるほど、逆張りとして読みたくなってしまいます。そこで現在取っているのが産経新聞。これは朝日や毎日より右寄りだから、とかいう理由ではなく単に「夕刊がなくて安いから」です。まあ、待合室用ですので毎日熟読しているわけではないのですが。
そんな前置きは置きっぱなしにしつつ、最近新聞を読んでいるとデカデカとした広告でこんな文言を見かけませんか。
「医師も注目」
「大学との共同研究」
「◯◯ %改善」
「モニター満足度 92%」
「エビデンスに基づく」
ぱっと見、いかにも “科学的” です。しかし、よく読むと、統計学的にみて意味があるのかどうか怪しいものも少なくありません。今日はあえて、医学と統計学の視点から、少し意地悪にツッコミを入れてみましょうか。
「◯◯ % 改善!」。結構多いのがこれです。「使用者の 80% が効果を実感!」などと "数字" が出てくると、なんとなくヒトはサイエンスを感じて信頼します。ですが、ここで大事なのは次の 3 点。
・何人中の 80%か
・何と比べての改善か
・統計学的に有意か
仮に「30 人中 24 人」が改善したとします。母数が 30 人では、偶然のばらつき(統計用語で “ランダム誤差”)の影響が非常に大きい。アタリマエのハナシですが 100 人中 80 人と、10 人中 8 人では、数字は同じ80%でも信頼性はまったく違います。ついでにこのヒトたちはどのように集められたのか?本来はそれをキチッと示す必要があります。宣伝打ってる会社の社員である可能性もあるわけですので。
くわえて重要なのは「対照群(コントロール群)」があるかどうかです。例えば風邪は放っておいても多くは自然に良くなります。薬を飲んだ群で 80% 改善しても、飲まなかった群も 75% 改善していたら、その差は 5%。この差が偶然かどうかを検定するのが統計学です。こんなときに用いられるのが昨日も出てきた「p値」です。詳細は省きますが、医学の分野では多くの場合で p<0.05 という結果が出たときにに「統計学的に有意」とされます。これは「偶然である確率が 5% 未満」という意味。逆に言えば、p=0.3 なら「30% くらいは偶然で起こりうる差」ということになります。いわゆる p値が示されていない「◯◯% 改善」は、「単なるあなたの感想ですよね」の可能性もあるのです。
「大学・研究機関との共同研究で検証!」。これも安心フレーズですね。しかし、「共同研究」と「臨床的に有効であることが証明された」は別物です。そもそも研究には段階があります。
・基礎研究(細胞や動物実験)
・予備的研究(少数の人で試す)
・ランダム化比較試験(信頼性が高い)
・メタ解析(複数研究を統合)
マウスで効果があった、というのは科学としては重要です。しかし、それがそのままヒトに当てはまるとは限りません、というかマウス実験からヒューマンに投与できるようになるまでには膨大な時間と莫大な研究開発費がかかります。医学の歴史は「マウスでは効いたがヒトでは効かなかったモノの残骸」で溢れています。「大学名が書いてある」ことと、「臨床的に意味のある効果が確認された」ことはイコールではありません。「東大」などの権威を鵜呑みにしないようにしましょう。先日東大の主任教授が共同研究の相手企業にみっともない接待強要をしていることが明るみに出たばかりなので腑に落ちる方も多いと思います。
「統計学的に有意差が出ました」。ここまで来ると本格派に見えますが、昨日のブログも是非御覧ください。有意差が出た=効果が大きい、ではありません。昨日も述べたように、1 万人規模の研究で、たとえば血圧が平均 0.8 mmHg 下がる "新しい降圧剤の提案" がされたとします。こんなときはサンプル数が非常に大きいため、このようなわずかな差でも p<0.05 になったりするので注意です。統計学的有意と臨床的意義はまた別物です。
「満足度 92%」。そもそも満足度は主観に基づく評価です。主観が悪いわけではありません。医療ではQOL(生活の質)も重要ですので。ただし、満足度調査にはバイアスが入りやすい。
・回答したのは何人か
・無記名か、どんな質問票が使われているか
・否定的回答は回収できているか
人は、わざわざアンケートに答えるとき、ある程度好意的であることが多い。さらに、販売元が実施した調査なら、(無償で評価されるものを提供することや、アンケートのお礼になんらかの物品を進呈することで)無意識の誘導も入りえます。満足度という数字単体では、科学的な強さは判断できません。
「エビデンスに基づく」。最近は政治家同士の議論でも「エビデンスを示しなさい」とかいう意見が出てきます。エビデンス(evidence)とは直訳すれば証拠。しかし医学においてはエビデンスは「論文や研究による担保」みたいなニュアンスで用いられることがあり、実際は「エビデンスの質」が非常に曖昧だったりします。
発言者がある論文を引用していたとしても、それが「症例報告レベル」なのか「ランダム化比較試験」なのか「メタ解析」なのか。エビデンスにも階層がありますので、「エビデンスがある」と言っても、それがどのレベルなのか書いていなければ、言葉だけが独り歩きしている可能性があります。
・・・などなど、「科学的であろうとすること」とは相当の「慎重さ」が必要です。われわれ医療者は診療の現場で「一応これまでの研究や実臨床の経験から ◯◯ という選択肢が今の病態では薦められると思っていますが、いかがでしょう?」くらいの提案しかできないのが現実です。「エビデンスはあくまでも意志決定の材料に用いられるツールで絶対的な指標ではなく、科学の進歩はひとつのデータで確定されるものではなく常に漸近的である」。このことをいつも肝に銘じております。
患者さんにとって最も大切なのは、「自分にとって意味があるのか」です。
・どれくらいの人に効くのか
・どれくらい効くのか
・副作用はどれくらいか
・何と比べて良いのか
この 4 点を意識する、もしくは医師に直接尋ねて知識をおさえるだけで、インフォームド・コンセントの質改善につながるような気がします。いろいろな広告をみるときも、少しだけそんなことを考えてみてください。科学的であることは、権威ではなく、疑う勇気と、検証する姿勢のことなので。
