現代は情報過多でなんでも "分かった気になれる時代" だからこそ "体験すること" の重要性がかつてより増していると思うのです。
院長の父親はいろいろあって自分が小学校卒業する前に家からいなくなり、今では同じ戸籍にいないひとになってしまったので、その記憶は子どもの頃のものがほとんどです。院長が成人してからは数回しか会っていないので。そんな父親がまだ家にいるとき、家族のなかでは院長が最も仲が良く、日曜日には院長が午前中の剣道道場での稽古が終わったあとに茅ヶ崎駅前の、今はもう無くなってしまったラーメン屋によく連れて行ってくれました。父親はその店の常連で、マスターや女将さんと(昼間ですがまあ日曜日なので)ビールを飲みながらなんやかやカウンターで話していました。院長は少し離れたテーブル席でたいていラーメンとギョーザを食べながら、店に置いてある(普段読んでいる『週刊少年ジャンプ』や『マガジン』『サンデー』ではない)少しオトナ向けの漫画雑誌(『ビッグコミックスピリッツ』とか『モーニング』とか『近代麻雀』とか)を読んで大人の世界を少しチラ見するのが意外と楽しい時間だったことを覚えています。あの『ビッグコミックスピリッツ』の「なんだかよくわからない "顔が野菜のキャラクターたち"」 が出てくるマンガ的な表紙はなんだったのか。未だにわかりませんが、現在の漫画雑誌表紙がほとんど水着を着たり着ていなかったりする女性グラビアで占められているのをコンビニとかでみると、「漫画雑誌なんだからマンガを前面に出せばいいのに」とか思ってしまうほど、その頃の記憶はしぶとく残っています。
そんな父親に院長は子どもの頃、いろいろと質問をしました。まあ世の中に興味があったのでしょう。父親は警察官だったのでなんだかコワくなるようなハナシもしてくれたので、親なんですが、「子どもが全く知らないハードボイルドな世界で生きているオトナのひと」ということでどんな答えが返ってくるか、楽しみにして訊いたのを覚えています。
「警察に捕まるとどうなるの?」
「拾ったおカネを警察に届けたあとはどうなるの?」
「警察官がスピード違反起こしたらどうなるの?」
・・・など。子どもがしそうな質問によく楽しそうに答えてくれました。
ただ、仕事と関係のない質問、例えば
「フリンってなに?ウワキとどう違うの?」
「どうして大人なのにケンカするの?」
「なんで嫌いなひとと仲良くしなくちゃいけないの?」
などと、子供らしいといえば子供らしい質問を聞いたときによく言われた言葉が
「・・・お前も大人になればわかるよ」。
これは子どもからすると「逃げてる」「はぐらかしてる」「答えがわからないから誤魔化してるんだ」とか勝手に思っていましたが、最近はそうではないようにも思えるのです。
ウチの奥さんが好きな文筆家で 銀色夏生 さんがいるのですが、彼女がなにかの本で
「理解しないままに体験することが人生の大事な一部です」
と書いていました。これは年を重ねると実感できる言葉です。
習い始めのときに「とにかく手を汚さない子は絵がうまくならない」と言って、なぜか描く前から小学校低学年生だった院長の手に絵の具を塗り込めた油絵の先生(世界的にも有名な茅ヶ崎の画家、西野先生が自宅のすぐそばで絵画教室をやっていました)。なんだかわからないけど丸坊主にされた中学校の剣道部 1 年生夏。受験で "いい大学" に行くことが "いい人生" とイコール、と自信満々に言っていた高校 2 個上の先輩。今は理解できなくても、理解しないままであっても自分がした「体験」こそが重要。体験内容の是非についてあれこれ考えるのはそのあとで時間をかけてゆっくりやればいい。そういったことは、もうすぐ 50 になろうとしている今ならよく理解できます。
ですから父親が言った「大人になれば・・・」というのが今現在になると "沁みてくる" のです。「たしかにまあ、そうだな」と。不思議なものです。
考えてみれば、人生には「よく理解してから始める」ことなど、実はそれほど多くないのかもしれません。結婚も、子育ても、医者になることも、開業することも。始める前にはそれなりに調べたり、人の話を聞いたりします。しかし、本当のところはやってみなければわかりません。始めてみて、「ああ、こういうことだったのか」と何年も経ってから気づくことのほうが多いような気がします。
だから最近は、何か新しいことを前にしたとき、「理解してからやろう」と考えすぎないようになりました。まずは一度やってみる。見てみる。行ってみる。話してみる。そして、そのときには意味がわからなかった体験を、自分の中にとりあえず置いておく。不思議なことに、そういう記憶は何年も経ってから突然意味を持つことがあります。
上記父親が言ったように、まずは体験してから、ゆっくり理解していくこともあるのでしょう。現代の平均的な日本人男性の平均寿命を考えれば、院長はもう人生の折り返し地点を完全に過ぎています。なんでもできる年齢ではないものの、気持ちだけは若く保ってなるべく多くの "まだ知らないこと" に飛び込んで行こうと思います。
・・・そんな体験をたくさんできるから院長は読書がやめられないのでしょう。睡眠時間を削ってても。
