研修医のとき上の先生から「電車で "お客様のなかにお医者様は〜" とか言われても行かないほうがいいよ」とか言われましたが、 "まずは診る" 医師でいたいですし、そこで専門医レベルの診療ができなくても許容する社会であってほしい。
「マルチタスクは効率を下げる」とわかっているのですが、ついつい仕事しながら YouTube を流したりしてしまう今日この頃。先日院長の YouTube アルゴリズムが「異性に "AED" 使用へのためらい」というタイトルがついた関西テレビの動画(カンテレ NEWS)を流し始めました。そのなかで、(実際の現場ではどのような雰囲気であったのかよくわかりませんが)、"若い女性に適切な場面で AED を使用したら「公衆の面前で上半身を裸にされた!」ということで処置された女性の母親から被害届が出された" という事例があったそうです。処置された女性本人がその届出を取り下げたらしく、裁判沙汰になるようなことはなかったらしいですが。
上記のようなハナシと関係なさそうで関連するのが米・南カリフォルニア大のチームによるマウスを使った実験結果です(科学全般のトップジャーナルである『サイエンス』に発表されました)。2025 年 4 月 14 日の朝日新聞電子版によると、この実験では「実験中に意識を失った仲間のマウスに対して、別のマウスがその「舌を引っ張る」行動をとる」ことがあるそうです。
これは、医学や救命救急の現場で行われる「舌根沈下(ぜっこんちんか)」対策、つまり気道確保による救命処置を彷彿とさせるものです。ヒトの世界でも、意識を失った人が仰向けで倒れると、舌が喉の奥に落ち込んでしまい、呼吸ができなくなる「舌根沈下」が起こります。そのため、救急救命士や医師が行う一次対応では、顎先を持ち上げたり、舌を引き出すことで気道を確保することが重要な処置となります。
つまり、マウスがとった「舌を引っ張る」という行動は応急処置のような行動であり、この "危険な状態に陥っている仲間を助けようとする" という行為は、種を超えて共通する “命を救うための本能的な手立て” なのかもしれません。
さらに最近の動物行動学では、マウスにも “共感” のような行動特性があることがわかってきました。たとえば、あるマウスが苦しんでいる場合。それを見た仲間が同じように行動したり、逆に苦痛を避けようと行動を変える。つまり「仲間がつらそう=自分も何かを感じる」という “感情的共鳴” が見られるというのです。中には、自分に危険が及ぶ可能性があるにも関わらず、苦しむ仲間のもとへ駆け寄るマウスも観察されています。
私たちはマウスというと、迷路でチーズを探す存在か、実験に使われる対象というイメージが強いかもしれません。でも、その小さな体の中にも「助けたい」「なんとかしたい」という感情的反応や社会性が宿っているのです。こういった行動は、ある言葉で形容してもよいのではないでしょうか。曰く、"人間的" と。
翻って最初に述べた AED のケース。それが公然の場における上半身半裸という、女性にとって当然守られるべき部位の露出であったとしても、救助者に対して訴訟を考える、というのは "人間的" とは程遠い気がします。
こういったテーマで思い出されるのが聖書の中に出てくる "良きサマリア人" のハナシ。これはしばしば大学医学部の小論文対策の例題などでも出てくる有名なテーマなのですが、長くなってきたので明日に。
写真は救命処置時に傷病者のプライバシーを保護する「救命テント」です(旭化成ゾールメディカルのウェブサイトより)。大変便利でしょうが、中で何をやっているのか分からないのでおかしなわいせつ事件などがひょっとすると起こってしまうと嫌ですし、「そもそも急にひとが倒れたときにこんなもの持ってないよぉ」とも思ってしまいました。真夏のスポーツ大会など、リスクが高い場面ではあると大変よいでしょうが、それなら普通のテントでもいいんじゃない?とかも思うし・・・。いや、商品にケチをつけているワケではないんですよ・・・。