臨床推論は常に "システム 1"(自動・直感・高速)と "システム 2"(分析・論理・低速)との間を行ったり来たりです。
医療の世界では、CT、MRI、超音波などの画像検査にも PSMA-PET など、検査部門でも乳がんや前立腺がんの診療に BRCA などの遺伝子解析が標準的な臨床に組み込まれるようになり、最近は内視鏡や病理所見評価、画像検査における AI 支援診断など、新たな技術が次々に登場しています。現代医療において画像検査や血液検査は極めて重要であり、診療における大きな助けになっているのは間違いありません。
しかしその一方では、医療の原点はやはり「病歴聴取」、すなわち「問診」にあると思っています。もう 50 年以上前、1975 年に報告されたものですが、最近のレビューでも引用される論文として「熟練した医師が前医からの紹介状を読み、患者さんから病歴を丁寧に聴取した段階で、最終診断が正しかった確率は 82.5% に達した」、という研究(Br Med J 1975)があります。まだ採血も画像検査も行っていない段階です。つまり「話を聴く」ことだけで、診断の大部分は方向性が決まっていた、ということになります。もちろん、紹介状がどの程度詳細に記載されているかにもよると思うのですが。
この研究における 82.5% というのは、われわれ開業医にとってに重い意味を持つ数字です・・・。と言って意味がわかりますでしょうか。医療者ならこの「82.5%」が「問診だけでそんな高い確率で正確な診断にたどり着けるのか、スゴい」と思う方が多いでしょうし、一方で医療に関わっていない方ですと「17.5% は正しく診断できないの?残念」と感じるかもしれません。ただ、実際に診療をしているわれわれからするとこの数字は非常に高いもので、"目指すべき数字" といえます。
もちろん、1975 年当時と現在では医療技術も疾患構造も異なります。「正しい診断」というのも、どこまでそう定義するのか、という問題もあるでしょう(鑑別診断をすべて挙げないと正解じゃないのか、とか)しかし、それでもなお、この論文が現代でも引用され続けるのは、「診断とは何か」という本質を突いているからでしょう。疾患は、検査データや画像などの、数値やイメージのなかに存在しているわけではありません。患者さんの身体の中で起きている変化が、「どのような時間経過で」「どのような場面で」「何をきっかけに」「どのように困っているか」という、まるで物語のように現れて初めて、病態として立ち上がってきます。その物語を理解する作業が問診です。
たとえば「胸が苦しい」という症状ひとつ取っても、
・階段を上ると苦しいのか
・安静時にも苦しいのか
・締め付けられる感じなのか
・刺すような痛みをともなうなのか
・数秒で終わるのか分単位で続くのか
・冷汗を伴うのか
・呼吸や体位で変化するのか
――こうした情報で、考えるべき病気は全く変わってきます。
あるいは発熱。
「熱があります」という一言だけでは、感染症なのか、膠原病なのか、悪性腫瘍なのか、薬剤熱なのか、全く分かりません。しかし、
・何日前からか
・最高で何度か
・悪寒はあるか
・咳や痰はあるか
・関節痛はあるか
・体重減少はあるか
・海外渡航歴はあるか
・周囲に同様症状の人はいるか
――こうした「病歴」が加わることで、疾患の輪郭がときにはおぼろげに、ときにははっきりと見えてくることがあります。
問診とは、「雑談」ではなく、患者さんの言葉を通して病態を立体的に再構成する高度な作業といえます。実際、臨床経験を積むほど、「検査より先に病歴である程度見えてしまう」という感覚を持つ医師は少なくありません。これは「勘」ではなく、臨床推論における「直観的なひらめき」と呼ばれるものです。経験を積んだ医師は、過去に診た膨大な症例を無意識のうちに参照しています。「この訴え方は狭心症に似ている」「この時間経過は感染症っぽくない」「この違和感は内分泌疾患で見たことがある」といったパターン認識を行っています。そしてこの「直観的なひらめき」がうまく働かないときは、「分析的な熟考」を行い、これら 2 つのプロセスの間を常に行き来しながら診断精度を高めている、と言われています(ダニエル・カーネマンの「二重プロセス理論」による)。
このいずれのプロセスにおいても問診は非常に重要なので、そのため、問診にはある程度まとまった時間が必要となります。最近の医療現場では、「短時間診療」が求められる場面も増えています。患者さんも忙しい。医療機関も忙しい。限られた時間で多くの患者さんを診なければならない。すると、どうしても「とりあえず採血を」「まず CT を」という流れになりやすい。しかし本来、検査とは「問診で立てた仮説を確認するため」に存在するものです。仮説が曖昧なまま大量の検査をすると、かえって医療は混乱します。偶然見つかった無関係な異常に振り回されたり、不要な精密検査が増えたり、患者さんの不安をいたずらに強めたりすることもあります。医療には「偽陽性」という問題があり、検査を増やせば増やすほど、“病気ではない異常” が見つかることもあるのです。
また、問診には診断以外の重要な意味があります。患者さん自身が、「自分の話をちゃんと聴いてもらえた」と感じることです。医療者側からすると、たった数分の会話でも、患者さんにとっては大きな意味を持つことがあります。「この症状はいつからですか?」という質問ひとつでも、“自分の苦しみを理解しようとしてくれている” と感じられることがある。逆に、ほとんど話を聞かれずに検査だけ進むと、「自分はデータとして扱われている」と感じてしまう患者さんもいます。
医療は科学的な側面があります。しかし同時に、つまるところは患者さんというヒト、医療者というヒトとが協力しあって行われる活動でもあります。数字や画像だけでは拾えない情報が、患者さんの言葉の中にはあります。高齢の方が「なんとなく元気が出ない」と言ったとき。その背景に、配偶者との死別、食欲低下、孤独、軽度の認知機能低下、うつ状態が隠れていることがあります。採血だけ見ても分からない。しかし丁寧に話を聴くことで、初めて見えてくる病態があります。こんなときは診察室に入る前に看護師が行う事前問診がとっても役に立ったりします。医師よりも話しやすい、と感じる患者さんが多いので。あと当院の看護師は院長の自分よりも態度が受容的なひとが多いので(自分ももっと雰囲気をやわらかくせねば・・・)。あるいは、生活習慣病。血糖値や血圧の数字だけ見れば「管理不良」かもしれません。しかし、「最近親の介護が始まって食事が乱れた」「夜勤が続いている」「職場のストレスで眠れない」という背景を知らなければ、本当に適切な医療にはなりません。
病気を診るだけでなく、“病気を抱えた人間” を診る。東京慈恵会医科大学の創設者、高木兼寛 先生が掲げた建学の精神「病気を診ずして病人を診よ」。これは医療の理想論のように聞こえるかもしれませんが、実際には診断精度そのものにも直結しており、まさに慧眼といえる教えです。最新の医療技術の恩恵は極めて大きいですし、今後 AI によりさまざまな医療行為がそのサポートを受けてより有機的になっていくことでしょう。ただ、それでもなお、「まずヒトの話をヒトが聴く」というスタイルだけは失われないのではないかと思っています。
50 年以上前の論文が今もなお引用される理由。それは、医療技術がどれほど進歩しても、患者さんの言葉を手がかりに病態を考える、という医学の本質が変わっていないからなのではないでしょうか。問診は、単なる情報収集ではありません。患者さんの人生、時間経過、困りごと、その人自身を理解しようとする行為です。だから院長は、これからも「病歴聴取」に(いい意味で)こだわる医師でいたいと思っています。当院を受診された患者さんからよく「先生、なんだか病状と関係ないハナシをしてしまってすみません」と言われることがありますが、全く「すみません」なことはないのです。特に生活習慣病診療においてはそういった何気ないこと(家族のこととか好きな旅行や釣りのこととかたまに遊びに来るお孫さんのこととか)が診療の参考になったりするので、是非今後もいろいろとお話しましょう。
