評価がわかれる武将ともいわれるがそれは優秀な親を持ったせいだと思いますー黒田長政
黒田官兵衛の長男で、信長に殺されかけた男として有名な黒田長政(詳細は wikipedia などを御覧ください)。
軍功もあり、政治家としても大変目利きのよい武将であったにもかかわらず、戦国時代好きのなかでも評価が分かれる人物です。
「長政すごい!」的なエピソード(政治篇):関ヶ原の戦いで西軍⇒東軍へと寝返り、一気に大勢を決する要因となった武将・小早川秀秋の裏書きを確約させた
「長政すごい!」的なエピソード(軍事篇):秀吉の唐入り(朝鮮出兵)・蔚山城(うるさんじょう)の戦いで籠城する加藤清正率いる日本勢の援軍として華々しい活躍をした(他にも武功多数)
「長政ダメ!」的なエピソード(政治篇):関ヶ原の戦いで東軍(家康側)に与して父・官兵衛にその報告に行った際、「内府様(家康)はよくやった、と自分の右手を取って褒めてくださいました」と伝えたところ、「そのときお前の左手は何をしていた?(なぜ左手で家康を殺して乱世に戻さなかった?)」と父に叱責された
「長政ダメ!」的なエピソード(軍事篇):激情家であったため戦の最中でも冷静さを欠くことがあり、関ヶ原の戦いのさなか、興奮して「15 騎での突撃」を命令した・・・。
これまでに紹介した 4 将はすべて親がすぐれた戦国武将であり、どうしても「七光り」的な目で見られてその評価が低くなりがちです。
院長の個人的な感想ですが、黒田長政の政治(特に福岡藩初代藩主としての仕事)や軍事(上記の小早川秀秋や、吉川広家を東軍に引き入れた功績など)の業績は特筆すべきものであり、大変優れた戦国武将だと思っております。
医師は 2 代目・3 代目はもちろん、ときに(江戸時代から続く医家で)「もう自分で 12 代目だよ」という先生にも院長は会ったことがあります。親と同じ仕事をするというのはなかなかにプレッシャーのかかることかと思いますが、そういった先生方にあまりそんな気負いは感じられず、「軽やかに」医学会で活躍されている先生が多い印象があります。
院長は親類を見渡しても医療従事者がおらず、あまりそういったプレッシャーがないところで仕事ができているなぁと感じた黒田長政の紹介でした。