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院長が大学で留年を覚悟した瞬間を振り返るーその 2

[2024.11.14]

昨日のブログで書いたように、院長が医学生時代、1 年生と 2 年生時は大学受験がせっかく終わったというのに数学・物理・化学・生物の講義や実験が必修でした。これは院長のように「物理・数学・化学は苦手だけど生物や歴史に国語などの文系科目は好き」という医学生にとっては非常にツライことでした。

大学に入って、「教養部」と呼ばれた(今もありますが)1・2 年時の授業について院長が感じたことを下記にまとめてみます。

・物理や化学で「教授」はいるが、正直言ってあまり熱意を感じませんでした。「本当は理学部とかで教授になりたかった先生方なのかなぁ」と失礼にも思ってしまいました(18 歳の若造が感じたことなので暴言どうかご容赦ください)

・「東京」医科歯科大学なのになぜ千葉県の市川市までまで行かないといけないのかー!と感じるくらい神奈川の実家から通っていた院長にとってはつらい通学時間(2 時間ジャスト)でした

・入学した東京医科歯科大学は偏差値が結構高く、数学・物理が得意な学生が多かった ⇒ テストの平均点が院長が予想するスコアよりも高くて焦りました。英語など人文系は結構得点取れたのですが・・・

・とにかく医学系の授業が皆無なので目的意識を持ちづらく、勉強に対するモチベーションがうまれない感じの 2 年間でした

・・・とまあ散々書いてしまいましたが、上記のような感じで大学での講義に興味が持てず。さらに家庭教師・塾講師・中華料理屋の 3 つバイトかけもちと剣道部と ESS(英会話サークル)の活動もやっていたので、必然的に大学にあまり行かなくなってしまいました。週に 1-2 日顔を出すくらいでしたでしょうか。

こうなると当然留年の危機が迫ってきます。明日は本当にギリギリだった教養部 ⇒ 専門課程進級について、思い出せることを書いてみます。

イラストは当時の教養部イメージ。高校の延長という感じで少しがっかりしましたねぇ。1, 2 年は白衣着る機会もほとんどなかったし。

 

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