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院長の人生において、その方向づけをしてくれたおばあちゃんの話

[2024.04.04]

院長が少年期から思春期を過ごした時期、自宅にいて面倒を見てくれたのは母方のおばあちゃんでした。

大変聡明なひとで、大正生まれでしたが、「自分も大学に行って勉強したかった。当たり前のように大学にいけるあなたが羨ましいわ」が口癖でした。

そんな祖母は院長が 30 歳になる頃、JR 御茶ノ水駅すぐそばの三楽病院で 93 年の生涯を閉じました。当時院長は同じ御茶ノ水駅前の東京医科歯科大学に勤務しておりましたので、しょっちゅうお見舞いに行って、いろいろな昔話をすることができました。

そのなかでこんな話を聞きました。

・自分は大正生まれ(1916 年)としては珍しい恋愛結婚だった(相手は丸紅商事のエリート社員でした)

・しかし、結婚して 1 年で夫はフィリピンへ出征し、その 3 年後に戦死してしまった

・そのため自分の娘(=院長の母親)の顔を夫は見ずに死んでしまった(昭和 16 年出征後に母親が生まれ、昭和 19 年まで院長の祖父は日本に帰る機会がないままオルモック輸送作戦で戦死)。逆に言えば娘は父親の顔を写真でしか見たことがない

・でも、戦死した兵士の家族が受け取ることができる軍人恩給(公務扶助料)は 1 ヶ月も欠けることなく支給してもらえた。このおかげで女手一つで娘(=繰り返しになりますが院長の母親です)を育てることができた(院長の母は高校教師として立派に勤め上げ、現在 82 歳になりますが大変元気に過ごしています)

・だから日本という国に感謝している

・おじいちゃんは「お国のために、天皇陛下のために」と言って出征していったし、フィリピンから送られてくる手紙(院長も何回もみたことがありますが、涙なしには読めない内容です)でも純粋に「日本のために戦う」と言って死んでいった

・だから、あなたも自分のためではなくひとのために生きなさい

・自分のために生きると、どんなに成功しても必ずどこかでむなしくなるときがくるから

30 歳になって子供を 2 人授かっていたので、おばあちゃんの言葉を素直に聞くことができ、「わかったよ、アドバイスありがとう」と言ったことを覚えております。

いろいろあって現在開業医をしておりますが、おばあちゃんの遺言、「ひとのために生きなさい」というのはなんとか守れているのではないかと愚考しています。

・・・後日おばあちゃんが大好きだった漢詩(といっても難しいものではありません)を紹介したいと思います。

1996 年 8 月(28 年前!)のおばあちゃんと院長です。本当に聡明で、いつも本を読んだり紙人形やくまのぬいぐるみをつくったりする一方、株の売買などの財テクで成功したりしていました。

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