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院長の若手時代・・・とにかく忙しかったです

[2024.09.12]

院長が医師になった 2001 年、「研修医」という法律上の身分はありませんでした。どういうことかと言うと、「研修医」はあくまで「医師免許取得後 1-2 年目の医師」の俗称として存在するのみで、医師 1 年目からベテランと同じ業務・責任を担うことが(担わされていた?)できました。ですので院長は医師になって就職したのが 2001 年 5 月 6 日(医師国家試験が 3 月にあり、4 月の合否発表、卒業旅行などを経て GW 終了までは「嵐の前の静けさ」みたいな感じでお休みで、5 月 6 日 から怒涛の日々が始まったのを覚えています)だったのですが、5 月 8 日にはもう近くの病院へ、医局長の指示で当直アルバイトに行かされていました。

当時の医師 1 年目給与は東京医科歯科大学で 11 万円ほどであり、都会の一等地にある御茶ノ水駅前そばではとても生活できません(ワンルームの家賃だけで安くても 8-9 万円だった)。そのため医局が当直のアルバイトを斡旋して若手が行く、ということになるのですが、ときに救急対応している病院へのバイト当直があり、そこで救急車が来るときのドキドキは今でも忘れられません。泌尿器科医である院長が心筋梗塞を疑い、大学病院にすぐ搬送してすぐに緊急手術になった、と聞いた夜のことはいまでも克明に覚えていたりします。

今年から医師の働き方改革がスタートしましたね。開業医である院長にはあまり関係ない、と言いたいところですがこれにより例えば院長が学会出張のため外来を閉じないといけないときに代診していただく先生を確保するのが極めて難しくなった印象があり、決して対岸の火事ではありません。

医師の労働環境については多数の書籍がすでに出版されており、その過酷さが記録されております。今でも 2001 〜 2010 年まで、院長の医師として 1 〜 10 年目までの生活を振り返ると、それはもう嵐のような日々であったことが思い出されます。

・・・この流れで明日は院長が研修医になる 3 年前の 1998 年に当時のわれわれを震撼させた「関西医科大学研修医過労死事件」を紹介してみます。

産業医として現在複数の企業で労働環境について監督する役目を担っております。毎日、いや人生の相当長い時間を過ごす職場で労働者が気持ちよく働けるような管理を心がけたいと常に思っています。

写真は関西医科大学研修医過労死事件のルポ本です。当時読んで「絶対休めるときに休もう」と心に誓ったのを覚えています。

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