メニュー

駅伝はいつから?

[2025.01.02]

本日、1 月 2 日は箱根駅伝の往路でした。青山学院大学が優勝しましたが、現在院長がお世話になっている東海大学は残念ながら予選会敗退となってしまったようです。2019 年に総合優勝してからわずか 6 年で予選会敗退という「駅伝戦国時代」と言われるような大変厳しい世界であることがよくわかりますね。

さて、この「駅伝」いつ始まったのでしょうか。これは院長が大好きな日本史に関連しております。中大兄皇子が大化の改新で一連の政治体制を築き上げたとき、インフラの整備として「五畿七道」が敷かれ、「駅家(やくか)」が 30 里(16 km ほど)ごとに置かれました。これを「駅制」と呼びます。現在「駅」といえば電車が停まるところですが、当時は当然「馬」の停留場・休憩場でした。律令時代の公文書はすべてこの七道を通って駅家を経由して各地域へ届けられました。こういった一連の交通制度が「駅伝制」と呼ばれ、現在の「駅伝」はこの制度が由来となっていると考えられています。長い歴史ですね。

その後、鎌倉時代には馬ではなく俊足で長距離を駆け抜けるひと、いわゆる「飛脚」の記述が文献にみられるようになります。江戸時代も含めてですが、「飛脚」はひとりで目的地へ駆けたのではなく、大体 10〜20 km、ときに 40 km ほどの距離を走ったそうで、これがまさに「駅伝」です。

すなわち「駅伝制」・「飛脚」が「駅伝」のルーツといえるでしょう。日本で初めての競技駅伝は 1917 年の「東京奠都(てんと)記念東海道駅伝徒歩競争」でした。これは明治維新後 1869 年に政府が京都から東京に遷都された "東京奠都" から 50 年経過したのを記念して開催されました。このイベントが大好評だったことにより、1920年より「箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)」が始まったとされています。

ちなみに院長の名字である「駒井」の「駒」はもともと「若く元気な馬」という意味があります。来月で 48 歳になりますが、名字に負けないようになるべく健康的な若さを保ちながら日々の診療を続けてまいりたいと思っています。

選手の皆さん明日も怪我に気を付けてリラックスして箱根路を楽しんでください!

HOME

最新の記事

手技や手術を十分理解したあとならテクニカルタームは空気のような存在になって自然とクチから出てきますが、外科系の診療科だとそうなるまでに最低 5-6 年くらいかかるんではないだろうか。
X であるツイートをみていたら「むかし自分が若手のとき味わった "テクニカルタームの壁" もまあ無いと困るんだなぁ」と思った件。
医工連携がどんどん進んで新たなパラダイム・シフトがこの日本から生まれてほしい、と強く願うエピソードを最近知りました。
今週月曜日から東京医療センターより当院に女性の若手先生が研修に来てくれていますが患者さんとの会話がスムーズで大きな戦力となっています。
前立腺がん検診についてはいろいろな立場からみた考え方・意見がありますが泌尿器科医としては多くの方に受けてほしいと思います。
いちどやってみるとまあ面白いですがあまりこれを重視すぎると落とし穴にハマりそうな性格タイプテストを受けてみました。
免疫についてずっと日本・世界の最先端を走り続けているスゴい双子の先生方と剣道稽古をつけていただくという幸運をアタリマエのように感じていた学生時代。
凡人が初めて英語の論文を書くには上の先生からの大いなる助けが必要です(スゴいひとは不要かもしれませんが)。
院長がはじめて英語で臨床の原著論文(臨床データからひとつの知見についてまとめたもの)を先輩に指導されて書いたのが炎症マーカーに関するものでした。
論文をじっくり読むときはどうしても PDF のままだと疲れてしまうのでプリントアウトしてしまうので、まだまだ完全デジタル化というのはちょっと慣れない院長です。

ブログカレンダー

2025年7月
« 6月    
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031  
▲ ページのトップに戻る

Close

HOME