高校時代に私塾で数学と物理を教えてくれた先生の出身校でもある、院長が勝手に一目置いている大学とは。
大学院というとどのようなイメージでしょうか。ためしにまわりにいる幾人かに聞いてみると、「研究室にこもって一日じゅう実験か読書をしている」「おカネがなさそう」「就職に強いか弱いかよく分からない」「研究テーマがニッチすぎて一般のひとからみると変人っぽい」・・・。あまりいいイメージではないようです。世間のイメージでは「バイトしながら研究しているが、特に理系だとひとつのことを極めているので就職には強く、文系だといろいろ」というところかもしれません。
一方、医者で大学院生というとどんな印象をもたれるでしょうか。あまり具体的な姿が思い浮かべづらい方も多いと思います。なかには医学部を卒業して 2 年臨床研修を受けたあとに、研究医として完全に基礎医学の教室に入って研究職としてキャリアを積んでいく、という意味での大学院生もいる一方、臨床を 5-10 年くらいやって臨床の疑問点を解決するために大学院に入る、というパターンもあり、院長のまわりにはどちらかというと後者のほうが多いです。そこで基礎医学の有名な研究室に入って素晴らしい業績を挙げる先生は多くおられ、院長の泌尿器科医の同期でいうとその代表が現在名古屋大学教授の赤松先生や九州大学准教授の塩田先生や東京科学大学准教授の吉田先生をはじめとする、「これから日本の泌尿器科学を牽引するアカデミック・ウロロジスト」たちです。
院長も実は大学院卒です。ただし、「社会人大学院」という制度で働きながら卒業したので、前述の「後者のパターン」ということになります。そして大学院時代はあまり基礎医学に向き合うという感じではなく、「博士号を取得するため」に院に入り、あくまでも臨床メインでやっていた人間です。いわゆる工学系・理学系の院生が周囲から持たれる冒頭のような大学院生活の雰囲気ではなく、「普通に臨床業務をこなしながら書いた論文が主査・副査の教授方に認められて博士号をいただく」くらいの感じでした。それでも大学院は 4 年で卒業できず(結構いい雑誌に載ったのですが、その論文は大学にいるときに書いたものではなかったので主任教授の名前が共著者にありませんでした ← そんなことも知らずに論文書くなよ、というミスです)人生で初めての "留年" を喰らってしまい、2006-11 年まで約 48 万円 x 5 の学費を(当時は がん研有明病院・大学病院で勤務していましたが常勤ではなかったのでボーナスもない薄給から)なんとか捻出した記憶があります。
そんな大学院時代、院長は先ほど具体名を挙げた先生方のような真面目な医学徒ではありませんでしたが、顕微鏡だけは毎日何時間も覗いていました。自分の研究テーマが免疫組織学染色という、「組織内の "抗原" を、それと対になる "抗体" を用いて検出する」という手法に基づくものだったためです。当時在籍していたがん研有明病院のとなりに併設されている がん研究所 の一室に、業務開始前の朝 6:00 と業務終了後の 20:00 に行って、それぞれ 2-3 時間くらいひたすら免疫染色を行って顕微鏡をみる、という日々でした。若くて体力がみなぎっていた頃ですね。
当時使用していたのが島津製作所製の顕微鏡だったのですが、その島津製作所、秦野にも工場が当院のそば、桜土手古墳公園のとなりにあります。大きな工場でさすが島津、という風格があるところです。会社のマークが薩長の薩摩藩、島津家と同じなので、大名島津家のご子孫と関連があるのかな・・・と勝手に思っていたのですが、どうやら違うようです。本社も京都ですし。この島津製作所、院長が顕微鏡の前にその名前を知ったのはその社員である田中耕一さんの 2002 年ノーベル賞受賞です。企業エンジニアである田中さんの栄誉は、若手研究者はもとより多くの人々が勇気づけられ励みになるニュースとして注目を集めました。
田中さんは東北大学出身。東北大は院長からみると「オリジナルなスタイル・雰囲気で独特な道を進むタイプの優れた研究者」を排出するイメージがあります。田中さんもこれまでの理系ノーベル賞受賞者がすべて持っている「博士号」をもたない唯一の受賞者でした。素朴な人柄でも有名でしたね。現在も島津製作所に在籍しておられるようです。
明日はその東北大出身の研究者が開発した、現在世界で 4000 万人以上が内服しているという、非常にありふれたコモンディジーズの治療薬とその発見者について簡単に紹介したいと思います。
研究に邁進して結果を出す先生方はすごいです。是非日本政府は "科学立国" の地位を向上させるために、基礎・応用いずれの科学分野に対しても、十分な資金提供をしてほしいと切に願います。若手研究者が安心して実験に没入できるように。
