1 年で本日一日くらいは国のありようについて考えてみるのも悪くないと思います。
本日は建国記念の日。全国各地の神宮において紀元祭が執り行われる日ですね。神武天皇が橿原宮で即位したというのが本日。天皇陛下からの勅使が橿原神宮に派遣されるほか、各地でさまざまなカタチで "日本国の成り立ち" を考えるイベントが開かれる日です。
このような、わが国にとって大切な日ですが、137 年前(これは大日本帝国憲法発布の日です)ある凶行が起こってしまった日でもあります。明治六大教育家のひとりで初代文部大臣、森有礼が国粋主義者に腹部を出刃包丁で刺される、という事件です。犯人もその場で大臣の護衛に斬殺されてしまったので本人への事情聴取ができず、深い部分での原因検索についてはなされなかったのですが、事件のきっかけは森有礼がしたとされる(事実についてはいまだはっきりしないようです)、いわゆる「伊勢神宮不敬事件」です。
これは当時の新聞で報道された、「森有礼が伊勢の神宮に参拝した際、拝殿に掛かる布の簾をステッキで払い除けて中を覗いた」という行為に怒った当時の伊勢神宮造営掛であった西野文太郎が起こした事件です。上記のように、この "不敬行為" については本当に森有礼が行ったのか、事実が曖昧だそうです。ただ、薩摩の下級武士の家に生まれ、若くして抜擢されて欧米に留学した森。米国ではキリスト教のコロニー(共同施設)でも暮らした経験をもち、「日本語は廃止し、英語を国語・公用語にすべし」という意見を唱えた森を、"日本を極端な欧米化に走らせる売国奴" ととらえる向きも、国粋主義者のなかにはいました。
当時は日本が西洋文明を必死に取り入れ、国家の形を作り替えようとしていた時代。森有礼は、その最前線に立ち、「古い慣習は合理的か?」「それは本当に国を強くするのか?」と、遠慮なく問いを投げ続けました。この姿勢は、現代で言えば “改革派” "リベラル" と呼ばれるかもしれませんが、当時としては相当に刺激が強かったことでしょう。
「世の中をかえるにはまず現状から極端に振り、従来との中間点に落ち着かせるように動く」とは政治戦略のひとつですが、森もそういったことを考えての「日本語廃止論」であったのかもしれません(こういった "トンデモ(と思われる)議論" もその観点から、世に問う価値があるはずで、これは現代にもつながります)。
ところで、森有礼が特に世間を驚かせたのが、「結婚は感情や家ではなく、契約である」という考え方でした。いわゆる契約結婚です。当時は、夏目漱石の『三四郎』にあるように、親同士が決める結婚が普通、男は側室(妾(めかけ))を持っても非難されない、という時代でした。それだけに「契約結婚」にはみな驚き、結婚式には新聞記者まで押しかける騒ぎとなりました。多くの招待者が見守る中、洋装で腕を組んだふたりが現れ、「婚姻契約書」なるものが読み上げられ、夫婦で署名することで結婚式が終了しました。証人はかの福沢諭吉が務めたそうです。
家制度を基盤とする当時の日本社会において、これはかなりの問題提起でした。現代の私たちが聞けば、「合理的だね」「まあ、そりゃ契約したほうがなにかとトラブルがなくていいよね」で済む話かもしれません。でも明治の人々にとっては、家族観や道徳観を根底から揺さぶる、危険思想に近かったのです。
森有礼は、教育も、宗教も、結婚も、「国家と個人の関係を合理的に再設計する対象」だと考えていた節があります。それはまさに、社会全体を対象にした壮大な社会実験であり、欧米を知る森は一刻も早く日本を欧米に負けない先進国にしたいからこそ、そうした社会実験を積極的に行いたいという気持ちが強かったのだと思います。
森は凶行の翌日、2 月 12 日に亡くなりました。当時の日本の教育における大きな人材の喪失であったと思います。建国記念の日は、「日本が始まった日」として語られることが多いですが、同時に「日本がどの方向に進むのか、激しく揺れていた日」でもあります。森有礼の人生と最期は、その揺れのど真ん中にありました。
祝日としてカレンダーを見るだけでなく、「この国は、どんな議論と衝突を経て、今の形になったのか」に思いを巡らせてみる。そんな 2 月 11 日の過ごし方も、決して悪くないように思います。
ちなみに院長は紀元祭が斎行される本日、ある場所に来ております。どこでしょう?続きは明日。
写真はその場所に行くための集合場所、お城に金の鯱(シャチホコ)がついているあの街です。
