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20 世紀の医療を革新した "◯◯ーテル" を使って初めて心臓に到達させたのは(循環器科医をやめて転向した)泌尿器科医でした。

[2025.09.17]

2001 年医師免許取得後、1 年間母校での研修医生活を終えて 2002 年、日韓ワールドカップでたいへん盛り上がっていた頃の 7 月 1 日から茨城県の土浦協同病院に赴任しました。当時泌尿器科は 4 人体制でしたが部長は病棟担当とはならずに外来診療と科の管理業務をされていたので 3 人の医師でだいたい 40〜45 名くらいの入院患者さんを担当していました。ただ、当然ながら一番若い下っ端が一番多く入院を担当させていただく、という暗黙の了解がありましたので、自分はだいたい 20 名以上、数回だけですが 30 名を超える患者さんも担当したりしていました。

当時自分のすぐ上にいらっしゃって手術手技はもちろん、院長初めて英語の論文(症例報告と原著ともに)執筆に尽力してくださったのが獨協医科大学埼玉医療センター泌尿器科主任教授の 齋藤一隆 先生でした。

そんな齋藤先生と当時手術をしながら話した雑談内容が以下です。当時は 2003 年頃で、今よりも「新世紀の 21 世紀だ!」という期待感があった時代でした。

齋藤先生「先生は 20 世紀の医療において最も重要な発明と発展は何のおかげでもたらされたと思う?」

駒井「何でしょう。。。DNA をはじめとする遺伝学的な知見の発見でしょうか?」

齋藤先生「うーん、それも重要だけど "医学" じゃなくて "医療"、現場のぼくらが日々実際に行っている診療内容における最重要デバイスに限ると何だと思う?」

駒井「・・・内視鏡でしょうか?」

齋藤先生「惜しいけどそんな感じ!長くて細いもの」

駒井「・・・ギブです」

齋藤先生「正解は、僕はカテだと思う。カテーテル。カテーテルのおかげで食事を摂れない患者さんに点滴ができて、術中に正確な血圧を測れて、胸を開けずに心臓の治療ができて頭をあけずに脳の治療ができて・・・。たった今病院じゅうで使われているカテーテルが 1 本もなかったら、ぼくらは何もできないよ」

駒井「確かに!」

そうです。カテーテルは素晴らしい発明で、特にわれわれ泌尿器科医は自分でうまく尿を出せない患者さんの排尿をサポートしたり、結石で痛がる患者さんの鎮痛剤などを投与するための点滴もカテーテルがあってこそ。齋藤先生に言われたときは「はあ、なるほど・・・」という感じでしたが、確かに 20 世紀の "医療" はカテーテルの開発と活用が牽引してきたのかもしれません。そんな泌尿器科の診療と切っても切れないカテーテルですが、ある "ノーベル医学・生理学賞級の本来とは異なる使われ方" をされたことがあります。 

それは 1929 年のドイツで。国家試験に合格したばかりの新米医師・ヴェルナー・フォルスマンはある "人類史上はじめてのこと" に挑戦しました。それは「尿管カテーテルを血管から挿入して心臓に達する」という、今からおよそ 100 年前の当時では奇想天外なこと。彼はカテーテルをウマの血管から心臓へ挿入して血圧を測定した、という記録を見つけ、「これが実践できれば強心薬など、心臓に有効な薬をより確実に投与できるのでは」と考え、このアイディアを試すことを決意しました。

ここで彼のスゴいところはその被検者に「自分」を選んだこと。すなわち、彼は実験を手術室で、「自分の腕の静脈」から「尿管カテーテル」を差し入れ、「もう片方の手」でゆっくりと血管内を進んで「自らの心臓まで到達させ」たのです。そして「腕からカテーテルをぶら下げたまま」「階段を降り」、地下にあるレントゲン室で写真を撮影しました。確かにカテーテル先端は右心房(心臓の最も静脈に近い部屋)に入っていました。

・・・今読み返してももうなんだかツッコミどころ満載過ぎです。

「感染しなかったのか?」

「カテーテルはかなり太いが、途中で静脈が損傷して処置後に出血しなかったのか?」

「カテーテルが右心房に達していわゆる心臓のリズムは乱れなかったのか?(ヒトが生まれながらにして持っている心臓のペースメーカーはまさに右心房すぐそばにあるため)」

「階段をおりて地下でレントゲンを撮影するまで、カテーテルの刺入部から出血しなかったのか?」

もう、それはもう気になります。現代の医師でもこのような感想を抱いてしまうくらいですから、当時はなおさらでした。

「これは医学でない。単なる無謀な思いつきだ」などと言われ、"体を張った" フォルスマンの実験に対する周囲の目は冷たかったそうです。担当教授からは「まるでサーカスの見世物だ!」と罵倒されたとも。世紀の大実験に成功したにもかかわらず、失意のうちに研究室を追放されるように去った彼は、大学を離れて町の開業医としての生活に入りました。

しかし 27 年後の 1956 年、フォルスマンはノーベル賞授与式の会場にいました。2 人の米国の研究者が現代も行われ、たくさんの命の危機を救っている心臓カテーテル法を用いて、フォルスマンが行った実験の正当性を証明したからです。フォルスは心臓カテーテル法の先駆者として、かれらとともにノーベル生理学・医学賞を受賞しました。

このノーベル賞まで、彼は大変な苦労をしています。実験により名声よりも悪名が勝ってしまった彼は、自身が進みたかった循環器科医としての職を得ることができず、泌尿器科医の Dr. エルスベート・エンゲルと結婚したのを機に泌尿器科に転向し、泌尿器科医としてのキャリアを積んだ末のノーベル賞だったのです。

誰もやっていないことをやる。このファイティングスピリットが人類を進歩させてきました。そのひとりが泌尿器科医であること(まあ最初からそうなろうと思っていたわけではないですが)に院長も誇りを持って診療していきたいと思います。ここまでチャレンジングなことはとてもできる自信がありませんが・・・。

写真はノーベル財団の X ツイートです。フォルスマンが記録したレントゲン写真。すごい。

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