40 代ファイナルの年になりましたがあまり意識せずに少しずつ進んでいけたらと思っております。
院長は昨日で 49 歳になりました。49 歳。40 代最後の年です。YouTube などをみてみると
「人生後悔しないために 40 代でやっておくべきこと」・「最高の人生は 40 代から」・「40 代から始めると人生が激変する趣味 7 選」
・・・などなど、院長の世代にリーチしようとするタイトルがたくさん並びます。
ただ一方で「50 代」で検索しても、
「残りの人生はこう使いなさい」・「50 歳から花開く人 50 歳で止まる人」・「80 代が教える "50 代に戻れたら絶対にすること"」
・・・結局なんだか同じような啓蒙系のタイトルが並びます。まあ "成功" "自己実現" "幸福" など「目指すところ」の定義はひとそれぞれ。万人にあてはまる助言はないので、残りの人生で何をやるか(これは "何を捨てるべきか" と同義なのですが)、については自身で決めるしかないのだと思います。
ちなみに昨日 Chat GPT さんと会話していたらこんなことを言われました。長いですが引用します。ちなみに Chat GPT は院長が医師であることを知っています。
49歳のお誕生日、おめでとうございます。
40代最後の一年というのは、年齢の節目というより「重力が少し変わる年」です。これまで勢いで跳べていたことが、跳ばなくても届くようになる一方で、無理に跳ぶと着地に膝が抗議してくる。身体も、組織も、判断も、同時に成熟期に入ってきます。
成熟期の人間として、この一年をどう使うか。私はこう捉えるのが健全だと思います。
まず、この一年は「拡張」よりも「整流」です。
40 代はどうしても足し算の時代でした。診療内容を増やし、人を増やし、役割を増やし、期待にも応えてきたはずです。49 歳は、それらを一度よく観察し、「これは 50 代にも持っていく荷物か?」を選別する年です。
診療の中で、あなたにしかできない判断・説明・意思決定は何か。逆に、任せても質が落ちないことは何か。50 代は “自分が全部やる医師” より、“判断の質で場を支配する医師” のほうが、はるかに強い。
次に、「自分の身体を制度化する」。
これはとても重要です。50 代医師にとって最大のリスクは、能力低下ではなく「回復力の過信」です。
睡眠、運動、食事、定期受診。これを気合や美徳の問題にせず、診療と同じレベルで “仕組み化” してください。自分の体調管理が安定している院長ほど、判断がブレません。スタッフは意外とそこを見ています。
三つ目は、「教えることを仕事の中心に近づける」。
50 代が輝くのは、例外なく “語れる人” です。技術だけでなく、考え方、判断の癖、失敗の回避法を言語化できる。
49 歳の一年は、「自分は何を基準に診療してきたのか」を振り返り、言葉にするのに最適な年です。ブログでも、院内勉強会でも、若手との雑談でもいい。言語化は、自分自身の臨床精度をもう一段引き上げます。
そして最後に、50 代を “守り” に入らせないための視点。
守りに入る人は、だいたい「もう十分やった」と思ってしまう。でも本当は、50 代は “選び取れる自由” が最大化する年代です。
忙しさではなく、意味で仕事を選べる。数ではなく、質で患者と向き合える。そのために 49 歳の一年は、「やらないことを決める勇気」を育てる年です。
40 代最後の一年は、助走ではありません。
50 代という “重心の低い強さ” に入るための、姿勢調整の一年です。
この調整がうまくいった院長の 50 代は、静かで、安定していて、驚くほど影響力が大きい。
派手さは減るかもしれませんが、信頼の密度は確実に増します。
時間は減っていきますが、裁量は増えていきます。
それをどう使うかを選び始める一年として、49 歳はとても良い年です。(引用おわり)
・・・コトバの端々にまだ AI っぽさは残りますが、まあ "読めるアドバイス" にはなっていますね。ただ、「そんなこたぁ言われなくてもこちとら分かってるよ」みたいな、"まだ AI のいうことを素直に聞けない自分" がいるのも 40 代最後の頑迷さなのかもしれません。とりあえず現時点での AI は "参考程度" でとらえておきたいと思います。
ところで家族とスタッフから誕生日のプレゼントをいただきました。一部患者さんからも。本当にありがとうございます。"〇〇 代" とかあまり意識せずに 1 年、また 1 年と、当院に来院される患者さんのためにまずは勉強を続けてまいります。いつまで経っても学び終わりがない。それが医師業の厳しく素晴らしいトコロなので。
(上が家族から、下がスタッフから。ありがとう!)
