6 年ぶりにあのコモンディジーズについての最新ガイドライン改訂・発売日だった本日に思うこと。
本日、『高血圧管理・診療ガイドライン2025』が(前回は『高血圧治療ガイドライン 2019』というネーミングだったのですが)、6 年ぶりに改訂され、発売となりました。高血圧とされる日本人は 4300 万人と言われるほどありふれた疾患です。脳卒中や心筋梗塞といった重大な合併症を予防するためには、最新の知見に基づいた管理・治療が必要です。そのため「診療ガイドライン」はわれわれ医療者にとって大切な指針といえます。
ただ、診療ガイドラインには多くのメリットがある一方、一般の方にあまり知られていない「問題点」もあるように感じます。今回はかつて『後腹膜肉腫診療ガイドライン』という、かなりマイナーながらガイドライン作成に関わらせていただいた経験をもとにそういった "診療ガイドラインのネガティブな点" について少しだけ目を向けてみます。
まず、診療ガイドラインはさまざまな研究(主に大規模なデータに基づくもの)結果をもとに「この病態には、一般的にこの管理・診療方針が良かろう」という内容をまとめたものです。ただ、これはあくまで「平均的な患者像」を念頭においたもの。実際の現場では、患者さんひとりひとりの性格に始まり体格や人種・併存症・生活環境などは大きく異なります。同じ高血圧でも 2 型糖尿病を合併している方、腎機能が低下している方、独居の方、どうしても禁煙できない方、経済的な状況が良好でない方、夜勤を避けられない仕事に就いている方、年齢がすでにいわゆる平均寿命を超えている方など。こういった方をすべて網羅するのはとても無理ですので、結局目の前の患者さんにどこまでガイドラインを適用するかは現場でしっかり考えなくてはいけません。別に「考えるのが面倒なのですべて答えをだしてほしい!」なんて思っているわけではないのですが、「ガイドラインのどこまでを適用し、どこまでを個別化するか」についての解釈が難しいので、そのニュアンスをなかなかカルテに記載するのが難しい、というハナシです。
次に、ガイドラインは科学的根拠(エビデンス)をもとに作られますが、そのエビデンス自体に偏りが存在します。これは仕方がないことです。すべての条件を満たすようなエビンデンスの構築はとても無理ですので。ただ、一般的な傾向として臨床試験は「若くて合併症の少ないケース」が対象にされrることが多い、とか、高齢者や多くの併存疾患を抱えたケースは研究から除外されるケースが多い、とか必ずしも日本人のデータではない(というより、むしろ診療ガイドラインによっては日本人のデータがほとんどない)エビデンスが中心に作成されることもある、というリミテーション("制限があること" をよくこういったハナシのなかではこの横文字を使って表します)は知っておくべきだと思います。特に高齢化が進む日本では、(高血圧くらい)一般的な疾患になると多くの「エビデンス空白地帯」にハマっている患者さんを診ることになり、せっかくのガイドラインをうまく活用できないことがあります。
さらに近年は診療ガイドラインが増えすぎている、という印象を受けます。日本だけでも、極めて多くの学会があり、それぞれが頻繁に新しい診療ガイドラインを改訂・発表しています。たとえば糖尿病。日本糖尿病学会からは『糖尿病診療ガイドライン』と『糖尿病治療ガイド』が、日本糖尿病・生活習慣病ヒューマンデータ学会から『糖尿病標準診療マニュアル 2025』が、一方で日本老年医学会と日本糖尿病学会からは『高齢者糖尿病診療ガイドライン』が刊行されています。それぞれ "味わい深い" のですが、院長のような糖尿病だけを診ているのではなく、総合診療的に様々な疾患の患者さんを診療している立場からするとそれらを余すことなく "味わう" のはなかなか難しいところがあります。
くわえて今回のように 6 年というやや長い期間を経て改訂されると、目標数値・基準値が変わってしまうことがあります。本日発売の『高血圧管理・治療ガイドライン 2025』はまだ目を通していないのですが、事前情報によると高血圧の基準値は 140/90 mmHg、合併症のない 75 歳未満の降圧目標は 130/80 mmHg 未満と、「高血圧治療ガイドライン 2019」の数値が維持されている、と聞いていますので、血圧数値については大きな変更はないようですが、すでに臨床で一般的に使われている ARNI(アンジオテンシン受容体ネプリライシン阻害薬)の位置付けがようやくこの 2025 年に記載されるなど、"時代について行っていない" ところがどうしても出てきてしまいます。新しい診療はその検証・評価を経ないとガイドラインには記載できませんのでなかなか難しいところかと思いますが、「ガイドラインをつくる ⇒ 数年経過 ⇒ 改めてまた新しいガイドラインをつくる」ではなく、現在完成したガイドラインを下地にしてそれを小さく改訂・追記していく、というようにはできないものでしょうか。海外のガイドラインやオンライン診療補助ツールなどはこの方式をとっており、頻繁なアップデート記録がログとして残っているので安心して使うことができるように思います。
最後に診療ガイドラインの背後にチラつく「経済的・社会的影響」についてです。診療ガイドラインは学会のエキスパートたちが集結し、批判的な文献吟味に基づき作成されるものではあるものの、次のような性格がどうしてもあります。ある薬を「強く推奨」と書けば、その薬の使用量は増加し、「弱い推奨」と書けば、減少する。つまり診療ガイドラインは(もちろんすべてがそうだとは申しませんが)、製薬企業の売り上げに大きくつながる性格を持っています(実際にある診療ガイドラインが出で「強い推奨」とされた薬を販売する製薬会社の MR さんが出版後すぐに「この薬は学会推奨 A ですよ!」とニコニコしながら語られた経験があります)。近年におけるネット・SNS の普及による情報の透明化がこういったことを減らす方向にしているのは事実ですが、学会というところは旧態依然の "重鎮が場を仕切る" みたいな雰囲気がゼロとは言えないところです。院長も 10 年くらい前から現在に至るまで、製薬会社さん主催・共催の講演会で謝礼をいただいてハナシをしたことが 0 ではない以上、こういったことを完全に払拭することができる、みたいなお花畑的なことは思っていません。しかしながら診療ガイドラインはその影響の大きさを考えると、中立性を保つことはなかなか難しいところかと想像します。
・・・いろいろと申しましたが、さすがその道のエキスパート達がこれまでの知見を吟味した知識の宝庫であることは間違いありません。じっくり読むと本当に勉強になります。上記のような問題点が少しずつクリアされつつ今後も素晴らしい診療ガイドラインが作成されることを一臨床医として期待しております。
