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AMR について勉強すると、結局ヒトだけでなく動物のことも、そして社会だけでなく環境のことも考えなければならない、という "グローバル" な思想に行き着きます。

[2025.08.11]

最近 AMR(薬剤耐性)のことが多いですね。それは院長が診療で多くの感染症を診る機会があるからです。ただ、この問題は本当に数々の分野に広くまたがる問題。考えれば考えるほど "どこから手を付ければいいんだ・・・" と途方に暮れてしまうほどです。しかし、昨日紹介した "ワンヘルスアプローチ" という考え。すなわち

  1. ヒトの健康(Human health)

  2. 動物の健康(Animal health)

  3. 環境の健全性(Environmental health)

この 3 つに課題を分け、それぞれに対応する、というように整理すれば少しなんとかなりそうな気がしてきます。オタキングとして有名な岡田斗司夫さんが「悩みとは複数の問題がこんがらがった状態である」とどこかの本に書いていましたが、整理って大事ですね。

昨日は 2. について述べましたので本日は 3. について私見を。

「環境の健全性」とは。1. のヒトと 2. の動物に関しては、医療機関や畜産業での抗菌薬適正使用が強調されている、と紹介したのでなんとなく飲み込めるかもしれませんが、3 つ目の柱「環境」は、全く注目されていない「静かな脅威」かもしれません。なぜ環境が抗菌薬に関連するのか?

環境と聞くと、森林や海の景色を思い浮かべる方も多いでしょう。しかし、ここで言う環境はもう少し実務的な意味を持ちます。具体的には、

  • 下水処理場

  • 河川・湖沼・海域

  • 農地や土壌

  • 廃棄物・産業排水

など、人間活動の「外」に広がるあらゆる場です。耐性菌や耐性遺伝子は、病院や畜産現場から直接人に感染するだけではありません。使用された抗菌薬や耐性菌は、排水や糞尿を経由して環境中に放出されることが多く、これが目に見えない拡散経路になっています。

例えば、

  • 病院や製薬工場の排水から検出される高濃度の抗菌薬

  • 畜産で使われた抗菌薬が混ざった糞尿肥料

  • 家庭や施設から流れ込む耐性菌を含む生活排水

こうしたものが河川や海に流れ込み、そこで暮らす微生物に抗菌薬耐性の遺伝子が伝播していきます。

抗菌薬が環境中に存在すると、それは微生物にとっての進化圧(selection pressure)になります。薬に耐えられる菌だけが生き残り、その遺伝子が増えていくわけです。さらに恐ろしいのは、耐性遺伝子は種を超えて移動できるという点です。

細菌同士はプラスミド(大腸菌等の細菌や酵母の核外に存在し、細胞分裂によって娘細胞へ引き継がれる DNA の総称。まあ遺伝子情報だとなんとなく思っていただければ大丈夫)などの遺伝子断片をやり取りし、全く別種の菌に耐性を与えます。この「水平伝播」は、土壌や水中の微生物ネットワークの中で活発に起こります。つまり、ある農場の土壌で耐性を持った無害な環境菌が、将来的にヒトに感染する病原菌へ耐性遺伝子を渡すこともあり得るのです。

そして、現代において下水処理場は、都市から出る耐性菌や抗菌薬が集まる大きなポイントのひとつと言われています。理想的にはここでうまく処理をすれば耐性菌を減らせるはずですが、なかなか難しい現実があります。

  • 下水処理は病原菌を減らすが、完全に除去できない

  • 処理過程のバイオフィルムや活性汚泥の中で耐性遺伝子が交換される

  • 処理後の放流水や汚泥肥料から再び環境に拡散する

WHO や国連環境計画(UNEP)の報告でも、下水処理場を「耐性菌のホットスポット」と記載されている部分があります。都市部では特に、ヒト・動物・産業由来の耐性菌がここに集まり、混ざり合う「交差点」になるのです。

あとは抗菌薬を製造している製薬産業。製薬企業が集積している地域では、工場排水が環境汚染の重大な要因になります。インドのある地域を対象とした研究では、製薬工場近くの河川から非常に高濃度の抗菌薬が検出され、周囲の細菌群が多剤耐性化していることが報告されました。これは単なる局所問題ではなく、グローバルに波及し得ます。なぜなら、耐性菌は人や物資の移動とともに国境を超えるからです。

最後に海。河川を経由した耐性菌や抗菌薬は、最終的に海に流れ込みます。沿岸部の貝類や魚類は耐性菌を取り込み、海産物を介してヒトに戻ってくる可能性があります。また、観光地や海水浴場などでヒトが直接耐性菌に触れる機会もあります。特に下水処理が十分でない国や地域では、都市の排水がほぼ未処理のまま海に放出され、沿岸の微生物環境が大きく変わってしまうことがあります。

以上のようにレビューしてみると、日々診療で使っている抗菌剤が効かなくなるという AMR が、診察室だけのことではなく広く "世界" に関連しているトピックであることがわかります。これらをうけて現在、環境面での AMR 対策として次のような施策が提案・実行されています。

  1. 下水処理の高度化
     オゾン処理や紫外線照射、膜分離など、耐性菌や抗菌薬の除去率を高める技術の導入。

  2. 製薬・畜産排水の規制強化
     工場や農場から出る排水に含まれる抗菌薬濃度を監視・制限。

  3. 環境モニタリング
     河川・湖沼・土壌・海水で耐性菌や耐性遺伝子の分布を定期的に調査。

  4. 廃棄薬の適正処理
     使い残しの抗菌薬を家庭ごみや排水に流さず、回収システムで安全に処分。

  5. 国際協力
     環境中AMRは国境を越えるため、各国間でデータ共有と規制の足並みを揃えることが不可欠。

国によって本当にさまざまな状況がありますのですべてが上手くいくわけではないと思いますが、上記のようなことについては「オールジャパン」ならず「オールワールド」で進んでいってほしいと強く願います。

耐性菌は病院や畜産現場だけで育つわけではありません。環境は、耐性菌の「静かな温床(インキュベーター)」であり、その影響はゆっくりと、しかし確実に人間社会へ戻ってきます。AMR を本気で抑え込むには、ヒトや動物だけでなく、環境という第三の柱にもっと光を当てる必要がありそうです。下水や河川の透明度が保たれているかは、単なる景観の問題ではなく、未来の医療の安全性そのものに直結しているのです・・・。院長も本と書類がシッチャカメッチャカになっている自分の部屋の机を整理して、明日の業務の安全性を高めようと思います。

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