SNS 上で、まだまだ若い大学の後輩が世間でいろいろ言われているのを見て『まあまあもう少し長い目であたたかく見守ってくれませんかね』と感じました。
X や Instagram に Facebook など、いくつか SNS のアカウントを持っていると各方面からニュースフィードが出てきます。Facebook は特に自分の卒業校を入力してありますので、その関連なのか、院長と同窓でもある医学生ユーチューバーから初期研修を経て美容外科の道に進んだ "藤白りり 先生" についての記事を最近よく目にします。彼女は東京医科歯科大学の医学生時代に効率の良い勉強法を紹介したり、大学生活の紹介をしたりで医学部を目指す学生の間や、医科歯科大教官のなかでは有名な存在だったそうです。
今年の 3 月で臨床研修を終えた彼女が選んだ進路は美容外科。保険診療で形成外科や皮膚科の専門課程を修了することなく直接自由診療である美容医療に進む、いわゆる「直美」です(この用語は公式なものではなく、いわゆる俗語で、少なからずその進路を取ったひとをディスる意味合いが含まれているように思います)。藤白先生が決めた直美という選択について、「せっかく難関大学に入ったのに」「最初は消化器内科に進むと言っていたのではないか」といった批判的な声が少なからず上がっているようです。
まず、大前提として現在の法律上の建付けでは医師免許を取得した者がどのような進路に進もうと、外野から文句を言われる筋合いはなく、なかには「東大医学部の神脳」と呼ばれている、医師・弁護士・公認会計士の資格をすべてもっている有名なタレント?起業家?さんや、そもそも臨床研修を行わずにテレビ局に就職したひと、院長が尊敬する安部公房先生のように、「お前は臨床をしないことを条件に大学を卒業させてやる」と東大医学部の教授連に約束を強いられたというケースもむかしからあるわけで、今回のような議論は今に始まったことではありません。ただ、特に「直美」が問題視されている最近の医療界では、以前より頻繁に議論されているテーマです。
結局この議論は「医師は "公共財" なのか」という問いに行き着きます。ではこれはどうなのでしょうか。
確かに、医学部教育には多くの税金が投入されています。特に国公立大学であれば、その傾向は顕著です。院長の学生時代は入学金が 20 万円、1 年間の学費が 44 万 8000 円でした。もちろん白衣代だの書籍代だのといろいろとおカネがかかりますが、他の国立大学学生(特に文系学部)より明らかに実習やら実験やらでおカネがかかる医学部を卒業するには破格の安さでしょう。当時私立大学医学部の平均学費は 1 年間 500-800 万円くらいだったと記憶していますので(今はだいぶ安くなりましたがそれでも現在の東京科学大学医学部 65 万円/年にくらべて安いとされる国際医療福祉大学が 300 万円/年 なのでまだまだ 4-5 倍の学費差があります)、ずいぶん安上がりで医師免許を取らせていただいたことに感謝しております。国に。
このような事情から、「社会に還元すべき」「地域医療や保険診療に貢献すべき」という意見が出てくるのも理解はできます。ただ一方で、医師もまた一人の職業人であり、人生を生きる個人でもあります。どの分野に進むか、どのような働き方をするか、その人自身が選択する余地がないのはよくないでしょう。結局この議論は "ゼロヒャク" とはならず、「個人の権利をどこまで認めるか」みたいなことに落ち着きます。これについてたかが一開業医である院長が論じるのはやめておきます。あまりにも様々な意見・立場が想定できるので、ブログのような一方的なテキストのメディアで語るのが難しいからです。
藤白先生のケースで特徴的なのは、「最初は消化器内科に進むと言っていたのに」という声があることでしょうか。ここには、“期待が裏切られた” という感情が見え隠れします。ただ、これについては少なくとも 2 つの反論が可能です。ひとつは彼女がまだまだ若いということ。学生や研修医の段階で将来の進路を語ることは、あくまでその時点での意思に過ぎません。実際に臨床の現場に出て、様々な経験を積む中で考えが変わることは、ごく自然なことです。院長も高 2 の冬に突然文系から理系(医学部志望)に切り替えた時、担任をはじめ多くのひとに反対されたりしましたが、変更した良かったと思っています。スケールが異なる例で恐縮ですが。
むしろ、何の迷いもなく最初の志望を貫き続ける人の方が少数派ではないでしょうか。内科志望だった人が外科に進むこともあれば、逆に臨床を離れて研究や行政に進む人もいます。それらは通常、特に批判の対象にはなりません。にもかかわらず、美容医療という選択だけが強く批判される背景には、「命に直接関わらない医療は価値が低いのではないか」という暗黙の価値観があるのかもしれません。
となると、ここで改めて考えるべきは、美容医療の位置づけです。確かに、がん治療や救急医療、さらにはわれわれ開業医が行っている日々の診療(高血圧や糖尿病などもコントロールを誤ると長い目で見て健康に大きな影響を与えるので)と比較すると生命に直結する場面は少ないでしょう。しかし、外見に対する悩みやコンプレックスが人の人生に与える影響は決して小さくありません。患者さんの QOL(生活の質)を大きく改善するという意味では、美容医療もまた重要な医療の一分野です。ただ、過度な広告や不適切な医療行為など、美容医療に対する懸念が存在し、それらが大きいのも事実です。しかしそれは分野の問題というより、個々の医療者の倫理観や制度設計の問題として議論されるべきでしょう。
現代は、働き方や価値観が多様化している時代です。医師という職業も例外ではありません。かつては「医師はこうあるべき」という暗黙の規範が強く存在していましたが、今はそれが揺らぎつつあります。ワークライフバランスを重視する人もいれば、収入を優先する人もいる。研究に情熱を注ぐ人もいれば、臨床現場で患者さんと向き合うことにやりがいを見出す人もいる。そして、そのどれもが否定されるべきものではありません。むしろ、多様な価値観を持つ医師が存在すること自体が、医療の幅を広げているとも言えるのかもしれません。
「直美」という言葉が炎上の火種になるたびに、医療界の構造的な問題が浮き彫りになります。例えば、保険診療の現場の過重労働、報酬体系の歪み、地域医療の偏在などです。もし本当に「保険診療に進む医師を増やしたい」と考えるのであれば、個々の医師の選択を批判するのではなく、そもそもなぜその選択が魅力的に映らないのか、という構造の側に目を向ける必要があります。つまり問題は、「誰が悪いか」ではなく、「なぜそうなるのか」という点にあるのだと思います。
医師の進路は、その人の人生そのものです。他者が軽々しく評価できるものではありません。一方で、医療という公共性の高い分野に身を置く以上、社会からの期待や視線が存在するのもまた事実です。その両者のバランスをどう取るかは、簡単な問題ではありません。ただ少なくとも、互いの立場や背景に思いを巡らせることなしに結論を急ぐのではなく、「なぜその選択に至ったのか」を丁寧に考える姿勢こそが、これからの時代には求められているのではないでしょうか。
最後に。世の中はそれほどシンプルではありません。現在の若手医師や医学生からみると「美容 ⇒ 高収益で楽しい」「保険診療 ⇒ 低賃金で大変」に映るかもしれませんが、われわれにとって最も重要なのは、至極アタリマエですが「医師としての技術」です。そこには「患者さんの気持ちをわかろうとする共感力・傾聴力」「外科的な技術」「内科的な臨床推論力」「ビジネスパーソンとしてのマナー」「医師として信頼されるに足る雰囲気」「病状・病態をわかりやすく伝える要約力」など、さまざまなパラメーターが存在し、それらの総和が "総合的な医師力" となります。これを磨く姿勢を常に持ち続けることこそが、どの分野に進もうとも最も大切だと思うのです。自由診療の現場に足を踏み入れたことはありませんが、これまで 25 年保険診療医を自分なりに一所懸命やってきた院長は、若い世代に「医師というのは素晴らしい職業です。是非進路のひとつに考えてみてください!」と現時点では自信を持って言える、ということを結びにして本日のブログを結びます。
