”させてみて" は本当に難しい(特に医療の現場では)
昨日に引き続き医学教育のハナシ。
軍人であった山本五十六の有名な言葉、「やってみせ 言って聞かせて させてみせ ほめてやらねば 人は動かじ / 話し合い 耳を傾け 承認し 任せてやらねば 人は育たず / やっている 姿を感謝で見守って 信頼せねば 人は実らず」
すべての「学び」と「教え」に通じる名言で、院長もなにかを教えるときはこうでありたいと思います。ただし。しかしながら。上の太字部分、「させてみて」というところ。ここが医学教育では本当に難しいんです。
われわれ医師は徒弟制度的な土壌で育ってきたという歴史があり、院長も自分より若年の先生に手術中の手技を任せるという経験を(現在も)よくしているのですが、このとき「させてみる」が指導者側にはかなり重いプレッシャーになることがあります。
・どのくらい予習をしてきているのか?
・手技の主体を交代することで手術の流れを乱さないか?
・(指導する相手の性格を考えて)「彼らのプライド・やる気を過度に損なう」ことにならないか?・・・など。
以上はすべて「患者さんあっての医療である」という当たり前の前提があるために生じる悩みのタネです。われわれは患者さんを「実験台」には絶対にできないのです。
たとえば寿司職人ならば「この魚をさばいてみろ」と言ってマグロをさばかせてもそのマグロは(いくら新鮮なものでも)すでに死んでいますし、その後の人生(魚生?)があるわけでもありません。
しかしながらわれわれ医師は、生きている患者さんの命とその後の人生に関わる、「医療」を担い、その中心的役割を果たす職責を負っています。医療はときに手術などの大きな侵襲(体の負担)をともないます。そのような医療行為を簡単に「させてみて」とはとてもできません。
まさに本日、2024 年 4 月 1 日から医師の働き方改革に基づく新たなルールがスタートします。勤務時間か自己研鑽の時間かが極めて曖昧な医師業においてこのルールがどのくらい現場の医学教育に影響を与えるか、現時点ではまだわかりませんが、古い世代の徒弟制度的な教えを受けてきた院長の世代では思いつかない、スマートで効率的、かつ倫理や道徳もとりこぼさないような素晴らしい医学教育が確立されることを心より願っています。
・・・医学教育についてなぜこんなに語ることになったのか、これについては 5 月からある大学の非常勤となって手術指導をすることが決まったからなのですが、その詳細はまた後日に。
写真は癌研のレジェンド外科医、梶谷環(かじたにたまき)先生の名言を集めた書籍です。著者の大鐘稔彦先生は『メスよ輝け!』『孤高のメス』など数多くの作品を世に送り出した、こちらも有名な外科医の先生です。