院長が大学で留年を覚悟した瞬間を振り返るーその 3
講義にあまり行かずアルバイトに剣道、ESS サークルの活動に明け暮れていた大学 2 年生。そんな 19-20 歳の院長に立ちはだかったのが「生命科学基礎」という教科でした。これは「生命科学」という名前はついておりますが実際は高校の物理・化学・生物を少し発展させたようなもので、当時の院長は「いい加減に医学部っぽいことを教えてくれよ・・・」と思ったのをよく覚えております。
この科目は院長の 1 学年上から始まったのですが、われわれの学年を驚愕させるようなことが起こりました。それは「1 学年上の先輩 82 名のうち 15 名が単位を落とし留年」という過酷な処置です。それまで 2 年 ⇒ 3 年に進級できないのはせいぜい 2-3 名だったため、これはびっくりしました。少し上の先輩も「医科歯科の教養部どうなってんだ?」的なことを言ってくれましたが、これにより 82 名いた院長の学年は生命科学基礎の講義だけ 82+15 =97 名が講義を受けるため教室ギチギチ、という事態となりました。
こうなると 3 年になるとすぐに始まる解剖学実習に大きな問題が生じます。現在は身寄りのないご遺体や献体を生前から大学に約束してくださる方が多くなり、解剖をさせていただけるご遺体は充足していると言われておりますが、1997 年当時は学生全員がしっかりと解剖実習をできるほどのご遺体はなく、定員 80 名程度の東京医科歯科大学で 97 名の一気に進級してしまうと解剖ができない、という事態になりかねない、と言われていました。
そんな生命科学基礎ですが、物理系 2 単位・化学系 2 単位・生物系 3 単位の 7 単位で構成されており、なんと院長は物理系 2 単位と化学系 1 単位を序盤で落としてしまっていたのです。こうなると「勝ち越す」ためには残りすべてを(比較的優秀な点で)修了しなければなりません。そのため 2 年の 2 学期はかなり集中して勉強しました。
その結果・・・なんとか「4 勝 3 敗」で乗り切り、なんとか進級できました。一方、進級できなかった同期は昨年とほぼ同数の 16 名・・・。医学部に入って医学を勉強する前に留年させられる、こんな理不尽が定員の約 20% にみられたのです。当時 SNS があったら問題になるような気もしますが、ともかく当時はそんな感じでした。ちなみに院長の学年をピークに医学部のほうから教養部に申し入れがあったのか、その後の留年数はだいぶ減ったようです。
このときの「ヤバい!留年するー!」という背中がゾワゾワするような焦りは今もってときどき夢に出てきます。おばあちゃんから「留年だけはしないでね」と言われていたので本当に 3 単位を落としたときは「おばあちゃん、ごめん」と心中穏やかではなかったことが思い出されます。
現在の教養部教育は当時より洗練されていると聞いております。上記はあくまで院長の私見で、かつ 30 年近く昔のことですのでこのブログを読んで医学部を目指す受験生が東京医科歯科大学(現 東京科学大学)を敬遠することがないようお願いして本稿を閉じたいと思います。