論文はあくまでも科学的に真っ当なものであるべき
院長の医師人生は母校の大学病院での研修医としてスタートしました。当時は(おそらく現在もそうですが)とにかく先輩の先生方に「論文書け書け」と毎日言われたことを覚えています。個人的には自分が書いたものが印刷(現在は PDF ですが)されるのはなんともいえない多幸感があり、好きだったので医師生活最初の 5 年で 5-6 本は論文を書きました。
論文は書き慣れるとその後はある程度量産できる体制に入れますのですが、外科的治療(手術)の修練にかまけてそこからは毎年 1-2 本をずっと書いて今に至ります。
論文というものは、文系学部の修士論文などもあてはまると思いますが、決してひとりでは書けないものです。たいていは同じグループ、ときには異なる診療科先生の協力や指導が不可欠。たとえば珍しい症例を報告するときには病理部(摘出した臓器を顕微鏡でみてミクロの組織から診断する部署)の先生に病理所見を教えていただいたり、CT 所見については放射線診断科の先生に読影結果の詳細コメントをいただいたりして論文の上梓にいたることがほとんどです。
ですので「論文を書く」のは孤独な作業のような印象がありますが、意外とチームプレイ活動なんです。
しかしながら、医師生活も 10 年目あたりを過ぎると、研究レベル・投稿するジャーナルのレベルも上がってきます。さらにたくさん論文を書いて出世、もとい活躍している先生をみると「論文を書くことで学会や医局で目立ちたい」的な、少し邪(よこしま)というか、自分の承認欲求を満たす手段のようになってくることがあります。
明日は、論文が本来もっているべき「研究成果を発表して医学の発展に寄与する」のではなく、「ある薬剤をより多くの医師に使ってもらうこと」、すなわち「薬の宣伝」がゴールになってしまい日本の研究全体に対する信頼度が揺らぐほどの大問題になった降圧剤に関する論文にまつわる「事件」を紹介したいと思います。
写真は超一流誌である LANCET に一度は掲載され、その後撤回(RETRACTED)されたその論文です。当時その薬をだいぶ使っていたので本当にびっくりしたのを覚えています。