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これまでの人生における学習状況を振り返ってみる

[2024.04.21]

「のぶちゃん(←院長のこと)、人生終わるときまでずっと勉強よ」。

敬愛するおばあちゃんがよく言っておりました。90 歳を過ぎてもテレビで新しい話題を仕入れては孫の自分に一生懸命そのことについて質問していたのをよく覚えております。向上心のカタマリのようなひとでした。

院長はこれまでどのくらい勉強したか?あらためて自分の学習状況を独断で振り返ってみます。どのくらい懸命に勉強していたのか、1〜10 点(10 点が「これ以上できない!くらいのレベルとして)の範囲で点数化してみます。独断で。

●小学生期・・・勉強キライで 3 年生の終わりに入った日能研を 3 日でやめてしまいました。おそらく論理的思考ではなく直感的思考の時期だったのだと思います。3 点くらい。

●中学生期・・・小6の終わりにステップという学習塾に入りました。ここは院長と波長があっていたようで、勉強が苦痛ではなくなりました。ただ「点数を取る」ことが目的だったような感じだったので 6 点くらいでしょうか。

●高校生期・・・部活は忙しい、その中で少しバイトもやってみたり、おまけに(中学は少し荒れていたのですが)高校生活が平和で楽しいので行事もたくさん、と青春の三拍子がそろっているような環境でした。ただ、その分時間がなかったので勉強するときの集中力は研ぎ澄まされていたような記憶があります。最も体力・気力がある時期だからこそでしょう。特に高3の 10 月〜 3 月までの集中力はすごかった。高1・高2の頃も部活や行事の合間を縫って意外と勉強していたので全体として 9 点。

●大学生期・・・医学部といえども、大学生になると他学部と同様、やはり遊びます。勉強するのは試験直前、クラス全体で試験対策のプリントを作成してみんなで試験や課題を乗り切っていました。特に同級生の吉田宗一郎先生(現 東京医科歯科大学腎泌尿器外科准教授)の自宅に2人でこもり、ひたすら一緒に勉強してなんとか留年・浪人せず卒業・医師国家試験合格にいたりました。苦手な微分積分や物理に頭を悩ますことから解放され、いろいろな知識を覚える、理解する、という比較的自分が得意な分野に進んだので医学の勉強は面白い(今でも)です。大学生活全体としては 6 点くらい。

●勤務医期・・・医師となり、勤務医として怒涛の日々が始まりました。とにかく忙しい。でも勉強して論文も書かなければいけない。それはもう嵐のように過ぎ去っていきました。医師 10 年になる頃までは 8 点くらい。その後常勤スタッフに昇格して後輩の医師がつくようになると少し家族との時間も持てたりして 7 点くらいになったでしょうか。

●開業医期・・・「開業して左うちわでしょう」とか言われることもありますがとんでもありません。クリニックの診療、経営、スタッフ人事、新しい医療制度改定への対応、電子カルテなど院内設備の整備など、いくらでも仕事があり、それぞれについて勉強が必要です。診療・経営の合間になんとか勉強する時間を確保し、ようやく机に座ることができるのは 1 日に 1-2 時間がやっとです。ただ、その時の集中力はなかなかすごいものがあり、現在人生で最も勉強している自信があります。まだもう少しだけやれる気もするので 9.5 点。

・・・なぜ最も歳を重ねた今が最も集中して勉強できているのか?これは「当院を受診してくださる患者さんの顔が見える」からでしょう。勤務医時代は大きな病院で勤務していたのでどうしてもひとりひとりの患者さんについて、病気のことは把握していてもそのひととなりまではわかりません。開業医になると「病気ではなく、ひとを診る」ことが勤務医時代以上に求められますので、診療中のちょっとした雑談や医療と関係ない会話のなかで患者さんの「ひととなり」のようなものがにじみ出てきます。そうなると、「この患者さんのために自分が医療者として可能なかぎりできることをしよう」というモチベーションがわき、それが集中力アップにつながっているのだと考えています。とにかく来院してくださる患者さんと支えてくれているスタッフに感謝です。

 

最後に、冒頭で紹介したように、人生最後まで向上心を忘れなかったおばあちゃんが 90 歳を過ぎてから詠んだ、院長が大好きな一句をここに紹介します。

 ふうわりと 風をとらえて 柳かな

・・・勉強してもそれをひけらかしたり知識を誇ることなく、「ふうわりと」いられるよう努力してまいりたいと思います。

写真は 1948 年くらい? 若い頃のおばあちゃん。アタマが良さそうでしょう。一緒にいる子供は現在 80 歳を過ぎた院長の母親です。昔の写真って情緒があっていいですね。

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