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もうすぐ受験シーズン ⇒ 院長の高校受験(1992 年)をレビューしてみる(その 1 当時の神奈川公立高校受験)

[2024.01.08]

昨日に引き続き院長の高校受験について。

 1992 年の高校受験を取り巻く環境を書いてみます。

当時は

  • 内申点 50%
  • ア・テスト 20%(2 年の 3 月中旬に行われる、主要 5 教科ではなく 9 教科(!)のペーパーテストで、こちらについても後日どんなものだったか記憶を辿って書いてみたいと思います)
  • 高校入試 30%

というウエイトでした。要するに入試を受ける前に 70% は入学者選抜の資料が出揃う、という、一発逆転を非常に狙いづらい制度でした。しかも内申点評価がかなり独特で

  • 2 年 3 学期と 3 年 2 学期のものが評価される
  • 2 年 3 学期は 5 段階評価 ⇒ 満点が 5 x 9 =45 点
  • 3 年 2 学期は 英国数理社 5 教科は 10 段階で 1.5 倍され、美術/技術家庭/体育/音楽の 4 教科が 10 段階で 2 倍される
  • ⇒ 満点が 10 x 5 x 1.5 + 10 x 4 x 2 =155 点
  • 以上より内申点合計が満点だと 200 点

というものでした。

当時兄が私立高校に行っており、片親で経済的にはあまり余裕がなかったこともあって公立高校しか考えていませんでした。そのときは歴史や英語が得意かつ好きな科目で将来はジャーナリストや翻訳家、歴史学者などになれたらなぁ、と祖母と話し合うような若造でした。将来のことを考えると大学進学は必須で、経済的に国公立大学、神奈川県しか知らなかったのでなんとなく横浜市立大や横浜国立大あたりかと思っていたので狙いは公立の進学校となります。桑田佳祐さんと同じ茅ヶ崎市立第一中学校に通っていましたので、茅ヶ崎学区(今はこの学区というのが無くなったと先日知りました)では茅ヶ崎北陵高校が狙い目となります。

しかしながら北陵は自宅からだいぶ遠く、他に志望校として茅ヶ崎から比較的近い柏陽高校、英語が好きで第二外国語にも興味があったため、現在は統合されてなくなってしまった外語短期大学付属高校なども中 2 夏休み頃には視野にいれていたことを覚えています。湘南高校は「学区外で県下のトップ校に入るには校内で 1 位でないと難しい」と当時通っていたステップの先生に言われ、当時は必ず K 君という同級生にテストで勝てず校内 2-3 位くらいと自覚しておりましたので、視野に入れておりませんでした。

・・・高校受験のことなどあまり書くこともないかと思いましたが、書き始めると意外と記憶が戻ってきて分量が多くなってしまいました。次回のブログに続きます!

高校受験塾のステップで、確か毎週やっていたア・テスト直前対策日曜講習結果のひとつです。毎週「あなたの点」が志望校の並びに組み込まれた結果表を受け取る ⇒ 焦る ⇒ 勉強する(ただ、主要 5 教科はともかく美術とか音楽の問題をいくらやってもなんだか向上している気がしない)というループでした。剣道部の活動も忙しかった中、ステップはなんとなく相性が合って欠席せずせっせと通ったことを覚えています。

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