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院長の書評その 1:『壁 第一部(S・カルマ氏の犯罪)』考えるんじゃない、感じるんだ。

[2024.02.14]

"Don’t think. Feel!"

『燃えよドラゴン』でブルース・リーが発する名セリフですが、このあとに続く言葉をご存知でしょうか?

彼は "Don't think. Feel! It’s like a finger pointing away to the moon. Don’t concentrate on the finger, or you will miss all the heavenly glory.” あえて訳すと、「考えるんじゃない。感じるんだ。それは指が月を指し示すようなものだ。指に集中してはいけない。そうでなければ、素晴らしい栄光などすべて見逃してしまうだろう」ということでしょうか。

今回紹介するのは院長が尊敬する作家、安部公房先生の作品です。記念すべき第 25 回芥川賞受賞作『壁』その第一部、「S・カルマ氏の犯罪」。本作品はよく「不条理小説」などと言われます。確かにストーリーだけを追っていくと自分の席に名刺が座っていたり、ある女性がマネキンになってその名刺と密会していたり、メタ構造になっていたり、正直言って「わかりやすい」ハナシではありません。

そんな本作品を 17 歳、高校時代の院長が読んだときの感想が、タイトルにあるような「感じる読書というものがある」ことです。それまで本というのは知識を与えてくれたり奇想天外などんでん返しがあったり先人の苦労や努力を追体験できたりと、「読者にやさしい」ものだと思っていましたが、ここで「本に突き放されたような感覚」をはじめて味わうことができました。

しかしながら、夢野久作先生の『ドグラ・マグラ』のような統合失調症的な不条理小説ではなく、感じる読書を繰り返し続けていくと、一見混沌にみえるストーリーの中に淡くはかないながらも「あるべき世界観」みたいなものがみえる作品であると感じてくると思います。

そのことを安部先生が生前インタビューのなかでわかりやすくこたえてくれています。

「視点を変えるとね、わかりきったものが迷路に変わるだけですよ。
 例えばぼく昔なんかに書いたことあるんだけどね、“犬”ね、
 犬ってのはほら、目線が低いでしょ。においが利くでしょ。
 だから、においでもって、においの濃淡で記憶やなにか
 全部形成しているわけでしょ。だから犬の感覚で地図を仮につくったら、
 これはすごく変な地図になるでしょ。
 体験レベルでもってちょっと視点を変えればね、
 我々がどこに置かれているかという認識がぱっと変わっちゃいますよね。
 その認識を変えることでね、もっと深く状況をさ、見る、ということ。
 だからぼくはね、結局文学作品というのは、ひとつの“もの”、
 “生きているもの”というか、極端に言えば“世界”ですね。
 小さいなりに生きている世界というものをつくって、それを提供すると、
 そういう作業だと思ってますけどね。
 だから、お説教やさ、論ずるってことはね、小説においてあんまり
 必要ないと思いますね。いわゆる人生の教訓を書くなんてことはね、
 論文やエッセイに任せればいいことで。
 小説っていうのは、それ以前の、意味にまだ到達しない、
 ある実態を提供すると、で、そこで読者はそれを体験すると、
 いうもんじゃないかと思うんだな」

「迷路でいいんです。迷路というふうに自分が体験すれば迷路なんです。
 それでいいんです。
 終局的に意味に到達するっていうのは間違いですね。これは日本の、
 やっぱり国語教育の欠陥だと思う。
 ぼくのものもなぜか教科書に出てるんですよ。こう見ていったら、
 『大意を述べよ』と書いてある。あれ、ぼくだって答えられませんね。
 そんな一言でね大意が述べられるくらいなら書かないですよ。」(太字はすべて安部先生の言葉。NHK アーカイブスより。赤字は院長による)

・・・素晴らしいですね。もう少し長生きしてくれていたら間違いなくノーベル文学賞の栄誉を受けていたはずです。

もっと書きたいのですが、キリがないのでこれくらいにしておきます。是非安部公房先生の作品、どれも素晴らしいので一度手にとって読んでみてください。初体験の方は本作品『壁』か『砂の女』から安部ワールドに入るとよいかもしれません。

左はこれも院長が大好きな作家(漫画家)、ヤマザキマリ先生の「安部公房大好き本」です。安部作品が人生にどう関わっているかをストレートに書いています。随所に安部作品愛読者にとっての「わかるわかる!」が散りばめられており、昨日一気に読んでしまいました。おかげで今日は寝不足です。

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