自分が一生をかけて極めようと思った仕事を大好きだった祖母に分かってもらえなかった思い出 (;_;)
5 年生の頃にはすでに泌尿器科医になると決めていた院長と当時 84 歳で、子供の頃から尊敬する祖母との会話を紹介します。東京の一人暮らしから年末に実家に帰ったときでした。
院長:「おばあちゃん、オレ、泌尿器科医になろうと思う」
祖母:「泌尿器科?あなた花柳科(大正や昭和初期には梅毒を診る診療科を俗にこのように呼んだそうです(by 神田須田町生まれの祖母談))医になるの?」
院長:「うんまあ・・・。泌尿器科ね」
祖母:「ずいぶん艶っぽい仕事が好きなのねぇ」
院長:「え・・・(どういう意味?)」
祖母:「男女のなりわいに関わる大事な科だと思うけど、もう少し普通の科に行ったほうがいいんじゃない?皮膚科とか内科とか」
院長:「イヤイヤ、泌尿器科って性感染症ばっかりじゃないよ!? 腫瘍・結石・排尿障害・先天異常・移植とかあって手術もたくさんあるし、子供から高齢者の全世代の女性と男性に関わるすごい大事な科だよ」
祖母:「あなたが行きたい道に進むのが一番だと思うからお母さんが何て言ってもわたしはのぶちゃん(祖母からこう呼ばれていた)を応援するわ」
院長:「(母親が反対する前提で応援されても・・・)ああ、まあ、ありがとう・・・」
こんな感じでしたね。祖母に悪気はないんです。ただ江戸っ子で父親がかなりの遊び人で、親がつくった財産(祖母は神田須田町、かつて万惣というフルーツパーラーがあった場所すぐそば、結構大きな屋敷に生まれたお嬢様でした)をだいぶ潰してしまうような方だったそうで、かなり泌尿器科(当時は花柳科)のお世話になっていたので「泌尿器科=そういうイメージ」が染み付いていたんですね。
当時「第一外科」「泌尿器科」でずいぶん迷いましたが、最終的に花柳科、いや、泌尿器科を専攻して 24 年目になります。
なぜ上記のような会話を突然思い出したんでしょう。それはあるウェブ記事がきっかけでした。それについてはまた明日・・・。
写真は祖母の手作りクマさんぬいぐるみです。祖母は本当に聡明な女性でした。戦争で夫を亡くしたあと、女手一つで立派に娘(院長の母)を育て上げたほどの胆力もありました。いつも本を読み、そろばんをはじき、足踏みミシンで服を自弁し、紙人形やぬいぐるみを縫っていました。おまけにアパート経営や株の売買などでもプチ成功し、そのおかげだと思いますが、院長によく当時高価だったファミコンのソフトを買ってくれました。天国のおばあちゃん、不肖の孫ですが現在秦野で元気にやっておりますよー\(^o^)/(真ん中にあるのは当院で扱っているサプリメントです。院長はこれで夜中の睡眠中途覚醒が楽になりました。毎朝内服するときに祖母を思い出すためにここに置いています)