メニュー

読みやすい字で助かったことひとつ。あと、多分それで得をしたことをひとつ。

[2025.02.15]

2 月 13 日のブログで「字が上手いことで(おそらく)得をした経験」を 2 つほど紹介してみたいと思います」と書いておきながらすっかり忘れて昨日は全く関連のない内容について書いてしまいました。認めたくはありませんが、20 代、30 代よりも認知能力が低下している・・・。気をつけます。

その 1。

大学に入ったときに教養部で取った自由選択科目に「現代音楽概論」(だったかな?)という講義がありました。これはわが東京医科歯科大学という医療系の小規模大学が 1995 年当時すでに高名な音楽評論家であった 田家秀樹 先生を招いて一コマ持っていただく、というありがたい内容でした。大学 1 年のときはバイトばっかりやってあまり大学に行かなかった(今は厳しいのですがこれだと留年しますが 30 年前の当時は出席についてはものすごくゆるかった)院長ですが、この講義だけはおそらくすべて出たと思います。ビートルズから J ポップまで、本当に幅広く音楽を聴き、味わうことを教えていただきました。

しかし、当時から『ロッキング・オン』を愛読し、ストーン・ローゼズやプライマル・スクリーム、ニルヴァーナなどの洋楽一辺倒だった院長は、単位取得のためのレポートで「邦楽は洋楽に比べて深みがない」的な、今思い返しても赤面モノの、ものすごく青臭い意見をつらつらと述べるだけの浅ーーーいレポートを出してしまいました。空気が読めないガキでしたねー。自分が教官だったらただちに赤点にしますが、田家先生から声がかかり、「内容はどうかと思ったけど、まあ書いてあることの一理はあるような気もするし、字が読みやすかったから単位をあげることにしたよ」と言われました。「優・良・可・不可」で「可」でしたが。

その 2。

大学受験のとき。院長は第一志望として無謀にも、国内最高偏差値を誇る東京大学理科三類を受験しました。9:30 に試験(国語から)開始なのですが、前日までに下見もせず当日東京駅で JR ⇒ 丸ノ内線の乗り換えで迷った挙げ句、本郷キャンパスにたどり着くと「理科三類は弥生キャンパスですよ!」と大学スタッフに言われたのですが、弥生キャンパスが本郷三丁目駅から一番遠い(当時まだ「東大前駅」がなかった)ことも知らずに 9:25 に試験の部屋にたどり着くという準備不足を完全に露呈するような始まり方をしてしまいました。1995 年の東大入試は近年稀に見る「数学が簡単」な年で、数学が苦手な院長も 6 問中 3 問完答、2 問半答できたのですがやはり最高峰の壁は厚く不合格。後期日程の東京医科歯科大学に臨むことになりました。

医科歯科の後期日程は一次試験(現在の大学入学共通テスト、当時は大学入試センター試験)が 500 点、二次試験はなんと数学や理科ではなく「小論文」と「面接」のみ。3 月 10 日に高校卒業式に出席した後わざわざ東大に行って不合格を掲示板で知り(このとき一緒に来てくれた母親が新御茶ノ水駅近くのカツサンドで有名な万世で美味しいステーキをごちそうして慰めてくれました)、翌日にはまた御茶ノ水の医科歯科に行って小論文、その翌日には朝 8:10 にまた御茶ノ水に行って面接試験、という怒涛のような 3 日間でした。このとき面接はものすごくあっけなく 3-4 分で終わってしまい、「これでどうやって合否を決めるの?」という感じだったのですが、院長は勝手に「小論文が結構楽しく書けた。さらに自分の字が読みやすかったから合格したのかな」と今だに(勝手に)思っています。当時は入試の得点を教えてくれる制度がなかったのでもうずっとブラックボックスになりますが、おそらく何枚も小論文の答案を読む先生にとって、(2/13 のブログで書いたように医者は字が汚いひとが多いので)読みやすい答案はそれだけでアドバンテージだったのではないかと愚考しております。

DX が進んでも、クレジットカードのサインやホテルでの記帳が完全になくなることは今後もない(ホテルの記帳もデジタルですが筆跡は残る)と思います。なにかを学ぶときや今後の予定を考えるときも意外とノートや付箋に「書く」ことはアタマの整理に有効です。これからも意識して「字を書く」ことを生活のなかで残していきたいと考える院長でした。

 

▲ ページのトップに戻る

Close

HOME