むかしの教育を現代にそのまま戻せとは思いませんが、経験の "量" をシャワーのように浴びることができたのはありがたかったです。
[2026.07.22]
"しょうどくかい" と聞いてどんな漢字を思い浮かべるでしょうか。
「消毒」と思ったひとは感染対策に気を使っているひとかもしれません。
「庄戸区」と思ったひとは横浜市栄区出身かもしれません。
「小毒」と思ったひとは中国の歴史ドラマが好きなひとかもしれません。(東洋医学・薬膳において、生薬や薬用植物が持つ「軽度の毒性(または副作用)」を指す言葉。たとえば「銀杏(ぎんなん)」とか「山椒(さんしょう)」などの、「少量食べる分にはよい効用を発揮するものの、大量に食べるとマイナスになりうる。ちなみにこれは「こどく」と読むのが音的には正しいのですが「しょうどく」と吹き替えしている中国ドラマを観たことがあります)
ただ、医師の多くは「抄読会」を思い浮かべます。これは簡単に言えば週に一度(という施設が多い)の「論文の読み合わせ会」。これは院長が若い頃は、単なる最新知見の報告会ではなく忙しいレジデント期間に眠い目をこすって準備したスライドを出した瞬間に部長をはじめとする先輩医師たちの鋭い視線が突き刺さる厳しい洗礼の会でした。論理の甘さ、データの解釈ミス、果ては資料のフォント乱れに至るまで、容赦のない「ご指導」が浴びせられる場でした。「この研究が現在の診療に与えている影響は?」「その統計手法の問題点は?」「N(研究対象のサンプル数のこと。Number の頭文字をとって)がこれしかないのにこんな結論を言っていいと思ってる?」。上級医師の厳しい声が響くたび、「自分が書いた論文じゃないのに」と思いつつ、背中には冷や汗が流れ、資料を持つ手は震えたものです。当時はその厳しさに胃を痛める日々でしたが、今こうやって 20 年以上経って振り返ると、あの厳しい修行時代が、「新しい論文をタイトルである程度理解できる」「抄録(論文の要旨)を読んだだけで相当程度の内容がわかる」「有名雑誌に採用される論文から "その時代における正しい統計手法" がわかる」現在の自分をつくってくれたのだなぁ、と思うのです。ちょっと振り返ってみましょう。
抄読会で求められたのは、論文を単に「読む」のではなく、内容を疑い、検証する「批判的吟味」のプロセスでした。忙殺される日々の診療の中で、若手医師たちは「3 分間で論文の価値を見極める」という技術を叩き込まれました。具体的には、まずタイトルだけで読む価値があるかを判断することを教わり、研究の質が一定の水準に達していなければ、それ以上読む時間は無駄だと切り捨てられる。その「選球眼」を養うために不可欠だったのが、現在はアタリマエのように用いられる "PECO" (Patient(どのような患者を対象にしているか)・Exposure(介入/曝露の内容は何か)・Comparison(比較対象は何か)・Outcome(どのような結果が得られたか)でした。これらは医学研究、特に臨床論文を読むのに必須の内容です。次に抄録から必要な情報を探し出し、そこで不明瞭な点があって初めて本文に当たるという「効率的な読み方」を徹底して反復練習させてもらいました。
これにより
・研究の背景や目的: なぜこの研究を行ったのか、また何を明らかにしようとしているのか
・方法: 研究デザイン、統計方法など
・主な結果: 研究の結果、何がわかったのか
・結論とその意義: 結果が今後の臨床実践のためにどのような意味を持つのか
などがわかります。この時点で、「自分たちの診療に関連がありそうだ」「統計手法が参考になりそうだ」「結果が面白い、大切だ」と思えたら、論文の中身を(これも必要な点だけ)精読していきます。逆に、抄録を読んで自分たちの診療とはあまり関係がない場合は、その論文はスキップします。
上の先生が求めていたのは単なる情報の収集能力ではなく、データの背後にあるバイアスを見抜き、情報の真偽を峻別する力だったのだと思います。
批判的吟味と並んで、現在院長の血肉となっているのが資料作成術です。不備のあるスライドを出すことは、聞き手の時間を奪う「不敬」であると教えられました。当時叩き込まれた、構成の鉄則は以下の通りです。
・1 枚のスライドに情報は 1 つ
・ビジュアルを駆使して見やすく
・字だけのスライドは「結語」くらいでなるべく最小限に
・「プレゼンターが読むためのスライド」は絶対に作らない
・「全部」をスライドに込めない。「質問されたら答える」だけの余白を残しておく
などです。今でも院長は研究会などで発表すると「スライド面白いですね」とか言ってくれるひとが(ありがたいことに)結構いますが、それはこの時代のご指導のおかげと思っています。
翻って今現在。われわれが若手で「研修医は病棟に泊まるのがアタリマエ」だった頃とは大きく異なり、「働き方改革」の時代。医療現場でも、自己申告に頼らない適正な労働時間の把握が義務付けられ、厚生労働省の指針)に基づき、管理が徹底されています。特に、労働基準監督署の許可を得た「宿日直(当直)」と、通常の業務として行われる「夜勤」の区別は、厳格に管理しなければならなくなっています。許可のない当直は待機時間も含めて時間外労働とみなされるなど、ルールの遵守は医療安全と職員の健康を守る要です。
しかし、自分はあえて後進の医師たちに伝えたいです。「20 代などの若手時代に "体力" を仕事に投下しないと、30 代・40 代で必要な "実力" は身につかないのではない」ことを。あの「厳しかった抄読会」に限らず、若い頃にハードワークで鍛えられた知識や経験は、現在自分のクリニックにおける診療の質を支える根幹となっています。短時間の診療であっても効率よく患者さんの訴えを吸い上げるのは論文の吟味に似ています。スライド作成で培った「聞き手への配慮」があれば、患者さんへ説明時に自然とイラストやグラフを多用するようになります。検査所見をみてその解釈に迷ったときは「聞くは一時の恥」の気持ちでその専門の診療科先生に遠慮なく確認して次回外来までに勉強しておきます。
こういったことを教えてくれた若い院長にとっての卒後教育は、AI でスマートになった抄読会準備とは真逆の泥臭いものでしたが、価値あるものだったと、今振り返ってしみじみ思うのです。医療に限らずどんなことも "経験" "場数" を大切にしましょう。もちろん、ときにそれらを深堀りしながら。
