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"強いことがすべて" のものすごく厳しい世界を描いているのにステキな作画のおかげで簡単に感情移入できるマンガー『3 月のライオン』。

[2025.05.10]

将棋の棋士を尊敬しています。子どもの頃からおばあちゃんが「米長名人がよく『兄貴はアタマが悪かったから(棋士にならずに)東大に行った』って言うくらい、プロ棋士になるのはものすごく険しい道なのよ」と教えてくれたせいかもしれません。将棋が強い、ってカッコいい。そんなふうに思って自分もアプリ「将棋ウォーズ」で対局したりしますが、全く勝てません。『3 月のライオン』島田開 八段のセリフで「将棋ってのは正直だ。勉強した分しか上手くならない・・・」とありますが、まさにそんな競技です。麻雀とかポーカーなら「ものすごい強運」のヒトがいたら勝ち続けることもありうると思いますが、そんなことは絶対にないです。将棋って。

そんな、プロ棋士が主人公なのに、ハートフルで、学生時代に誰しも一度は経験した胸の奥が少ーし軋むような経験を追体験できる作品が 羽海野チカ 先生の『3 月のライオン』です。主人公は中学生プロ棋士・桐山零。これまで日本で中学生プロは加藤一二三・谷川浩司・羽生善治・渡辺明・藤井聡太という錚々たるメンバー(なんと全員名人になっています)。これだけ聞くと純粋な将棋マンガですが、人間関係や心の成長、孤独と再生といった普遍的なテーマが描かれており、心に深く刺さる名作。

零は幼い頃に事故で家族を失い、心に大きな傷を抱えたまま、将棋奨励会を勝ち抜いて中学生でプロ棋士になります。しかし、そこにあるのは希望ばかりではなく、孤独・重圧・自己否定。将棋を通して再び自分の人生と向き合い、あたたかい人々との出会いによって、少しずつ再生していく様子が描かれます。この物語は、医療における「回復」「寄り添い」「生きづらさ」とも深く重なります。

桐山零は、失った家族の代わりに「将棋」という手段で社会との接点を保とうとします。けれど、将棋の世界は厳しく、自分の存在意義を問われる日々。彼はうつ症状のような状態に陥り、食べることも、眠ることもできず、感情を殺して生きていきます。

これは、われわれ医療者が経験する「うつ状態」や「適応障害」の患者さんに近いものを感じます。現代社会では、心に見えない傷を抱えながら働いたり、家族を支えたりしている人がたくさんいます。「がんばりすぎて壊れてしまう人」は決して少なくないのです。零が少しずつ回復していく過程には、医療現場でも大切にされる"リカバリー・モデル"のエッセンスがつまっています。それは、ただ症状を抑えるだけでなく、「希望」や「他者とのつながり」を取り戻すことを目指すアプローチです。

物語の中で、零を救う存在として重要なのが、川本あかり・ひなた・モモの三姉妹です。なかでも長女・あかりさんは、零のことを何の見返りもなく家族のように受け入れてくれます。「うちに来なさい。おなかすいたでしょ?」「ごはん、ちゃんと食べてる?」

そんなやさしい言葉や、ぬくもりのある家庭料理が、どれだけ心をほぐすか。私たち医療者がどれだけ薬を処方しても届かない部分に、こうした“人のぬくもり”が作用するのだと、強く感じさせられます。

医学的に言えば、「食事」「睡眠」「社会的なつながり」は、いずれも心の健康を支える三本柱です。特にあかりさんのような存在は、"非医療的ケア"の最高峰だと思います。

『3 月のライオン』では、勝負の世界の厳しさもリアルに描かれます。勝った者だけが評価され、負けた者は去っていく──それが将棋の世界。でも、作中で零は気づいていきます。「人としての価値」は、勝ち負けでは決まらないのだと。

これは医療の現場にもよく似ています。「闘病」という言葉がありますが、患者さんは病気に対して「勝つ」ことばかりを目指す必要はありません。ときに治らない病気と向き合いながらも、「どう生きるか」「どう支え合うか」が大事なのです(ちなみに「病気に勝つ」という言葉は個人的には違和感があり、これは「負けた」ら患者さんの努力が足りないように聞こえるので今後できれば廃れていって欲しい気がしています)。また、医師としても、「治せたかどうか」で自己評価を決めすぎると、燃え尽きやすくなります。治せなくても、患者さんの孤独をやわらげることができる。そんな関わり方こそ、医療の本質かもしれません。

作品のなかで中学生のひなたが、いじめに立ち向かうエピソードもまた、医療と深く重なります。彼女は自分がいじめられても、友達を守るために立ち上がります。その姿勢に、零も大きな影響を受けます。このような「正義感」と「弱さのなかの強さ」は、病気と闘う患者さんにも共通します。どれだけ不安でつらくても、支えてくれる誰かがいれば、人は踏ん張れる。医療者も、そんな“ひなた”のような存在になれたら…と心から思います。

『3 月のライオン』の中で描かれるキーワードの一つが「居場所」です。零にとって将棋会館や川本家は、徐々に「帰っていい場所」になっていきます。それは、キレイゴトと言われるかもしれませんが院長が目指すクリニックの姿でもあります。

クリニックとは、単に風邪を治したり血圧を測ったりする場所ではなく、「心がちょっと疲れたときにふらっと立ち寄れる場所」であってほしい。「この人なら話を聞いてくれる」と思えるスタッフがいて、「ただいるだけで少し安心できる」──そんな空間をつくるのが私たちの理想です。もちろん重症な "心の病" を抱えている場合は当院から心療内科・精神科に紹介することになるのですが。

『3 月のライオン』は、派手な展開こそ少ないですが、「生きるとは何か」「人との関係とは何か」という根源的な問いを、あたたかく静かに投げかけてきます。

医療もまた、「治すこと」だけではなく、「寄り添うこと」に大きな価値があります。

忙しさや効率に追われるなかで、つい見落としてしまうかもしれませんが、患者さん一人ひとりの「心の歩み」を尊重しながら、一歩ずつ歩いていく。そんな医療の姿勢を、零やあかりさん、ひなたの姿から学びたいと思います。

そして、現役プロ棋士の皆様、われわれの想像を絶する厳しい世界のなかで戦っていく姿を遠くからいつも敬意を持って見ております。これからも素晴らしい対局をお願いします。特に秦野市内にある鶴巻温泉老舗旅館の「陣屋」でぜひ!

COVID-19 パンデミック時代にフリー使用を(ありがたいことに)許可された手洗いポスターです。お忙しいなか医療界に協力してくださった羽海野チカ先生に感謝します。

 

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