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男児立志出郷関 学若無成不復還 と思い大学に入ったあといろいろを経て地元神奈川で開業した院長の医局語り

[2025.02.05]

院長は 2001 年に東京医科歯科大学を卒業し、そのまま母校の泌尿器科学教室の一員となりました。いわゆる "医局に入る" というやつです。これは非医師にはものすごくわかりづらい制度で、「契約書も覚書もないが、就職先としての関連病院や、学術的なドクターとなるための大学院などの、医師としての卒後教育を受ける場を提供してくれる組織」とでも言うのでしょうか。よく例え話として大学が大企業でいう「本社」、関連病院が「支社」と言われたりしますが、大学医局に法的な根拠に基づく人事権や、関連病院に対する人材派遣の契約はなく、とにかく「説明しづらい組織」と言えましょう。

この医局、ドラマや小説では教授をトップとしたヒエラルキーみたいに描かれ、しばしば悪者扱いされることがありますが、院長は本当にありがたい就職先を多数紹介してもらい、素晴らしい卒後教育を受ける機会に恵まれましたので、感謝しております。現在医局人事から外れるカタチで開業しておりますが、開業前にも教授と准教授が夕食の席で自分の門出を祝ってくれました。今後の医師人生で、いただいた恩はなんらかのカタチでお返ししたいと思っております。

さて、そんな母校の医局(現在は 東京科学大学 大学院 医歯学総合研究科 腎泌尿器外科学教室 というのが正式名称です)ですが、自分が研修医としてその末席に加えていただいたときに主宰していたのは 木原 和徳 名誉教授(元東京医科歯科大学医学部附属病院長)でした。まさに Academic surgeon という感じの先生で、木原先生がいるだけでカンファレンスの場がビシッと引き締まったものになりました。

厳しい先生でしたがこんなことがありました。大学に勤務していた 15 年くらい前の日曜日、たまったカルテデータ整理のため、まだ 5 歳の娘と手をつなぎ、3 歳の息子をおんぶヒモでなんとか連れて大学の自分の机で仕事をしていました。5 歳の娘がパズルをしてなんとかじっとしてくれている 1 時間でその日のノルマを終え、帰ろうとすると日曜日にもかかわらず仕事のために大学に来られていた教授とばったり廊下で会いました。公私混同的な行動を咎められるかと思いきや、本当に優しい笑顔で「カワイイ子どもたちだなぁ!子育て大変だろうけど仕事も頑張れよ」と声をかけていただき、大変励みになったことを今でもよく覚えております。

以前のブログでも紹介しましたが当院診察室の院長の前には木原先生が開業時に贈ってくださった時計が日々時を刻んでおります。診療中は木原先生に見られているようで身が引き締まり、少し疲れていても頑張れているので大変ありがたく大切に使わせていただいております。年賀状など時候の挨拶をのぞいてなかなか直接ご挨拶できないのですが、自分を育ててくれた故郷のように秦野の地から "遠きに在りて想う" 気持ちで過ごしております。今後もどうかご指導よろしくお願いします、と思いつつ。

明日は木原先生の "先見の明" をあらためて尊敬した件について書きたいと思います。

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