ヒトは生まれてから終わりまで、学ぶことで生きて、教えることでさらに学び、の繰り返しのように思います。
院長の母親は高校の数学教師を 50 年近く勤め上げました。私立高校で転勤はなかったので、同じ場所にとても長い間勤務していたことになります。中学生の頃にはいろいろな事情で片親になった院長は、この母親が一生懸命教師をやってくれたおかげで高校に行き、大学に通い、無事医師になることができました。ありがたい。ちなみに今でも元気にウチのクリニックを受診してくれています。
そんな母親の背中を見ていたためか、高校時代から「教育分野」に非常に興味がありました。高校 2 年までは文系で英語と古文と歴史(特に日本史)が大好きだったので、東大文III(文学部か教育学部に進む学生が多い)に入って日本史の史料を読み解くような学者になってやろう、とか考えたこともあります。その頃(1993 年)は 筒井康隆 先生がいわゆる「断筆宣言」を行った頃で、もともと『家族八景(などの七瀬シリーズ)』とか 『富豪刑事』とか『ロートレック荘事件』とか好きで読んでいたのですが、『文学部唯野教授』も読んで「文学部の教授は楽しそう(・・・本の内容を知っているひとからするとこう考える高校生はちょっとヤバいことがわかるのですが)」とかも思っていましたし。
そんなわけで(?)最近趣味で大学受験レベルの理科や社会、古文漢文などを復習したりしています。特に院長は大学受験で「物理・化学」を選択したので生物を勉強したのが高校 1 年のみ。大学に入ると「生物」ではなく「医学」しかやらないのできちんと高校生物を修了していなかったのですが、生物ってやっぱりつながっているなぁ、と思うことが多く、面白いです。
高校生物を改めて勉強してみると、医学部で学ぶことと共通した土台がある、ということがよくわかります。たとえば遺伝。医学部では遺伝子・染色体・遺伝性疾患・がん遺伝子など、たいてい創薬などの臨床につながる話として学ぶことが多いのですが、高校生物ではメンデルの法則における優性・劣性や減数分裂・DNA 複製・転写・翻訳といった基本が、非常に丁寧に記載されています。医師になって 26 年目になりますが、意外と改めて確認することで、日々の臨床で用いる知識の裏付けになったりします。なんとなくアタリマエに通っていた大通りに細い路地から急に出て「あ、ここはこう繋がっていたのか」と分かるような感覚でしょうか。
特に免疫に関する内容。抗原・抗体・T 細胞・B 細胞・マクロファージ・サイトカイン。医師になってからは、感染症、アレルギー、自己免疫疾患、ワクチン、がん免疫療法などの文脈で出会う言葉です。しかし高校生物の中では、体が外敵をどう見分け、どう記憶し、どう次に備えるのかという、生命の防御システムとして説明されています。こうして見直すと、免疫とは単なる「病気と戦う仕組み」ではなく、生物が長い進化の中で獲得してきた、とても精巧な生存戦略なのだと実感します。
また、生態系や進化の分野も興味深い。医学とは一見遠そうに見えますが、感染症を考えるうえでは、細菌やウイルスの変異、薬剤耐性、宿主と病原体の関係など、まさに進化そのものです。抗菌薬を使いすぎれば耐性菌が増える。ワクチンや治療薬が変われば、病原体側もまた変化する。人間が医療という武器を持っているつもりでも、相手もまた生き残るために変わっていく。生物を学ぶと、医療も自然界の一部なのだとよく分かります。
院長は高校 1-2 年の頃は文系科目が好きでした。しかし高 2 の冬で『ブラック・ジャック』を読んで医師を志し、幸いなことにそこから慌ててやった理系数学や理科で東大理III(医学部)受験(結局落ちて東京医科歯科大に入れてもらいましたが)という、受験勉強開始時に予想していたよりもだいぶ上方修正の大学を受けることができました。よくそのハナシをすると、「文系なのにどうやって理系科目をマスターしたのですか?」と聞かれることがいまだにあるのですが、「最初はよくわからなかったですが、いつのまにか面白くなって気がついたらいろいろ解けるようになっていました」と答えています。実際そうだったので。
勉強、特に受験勉強はキレイゴトを言う前にまずは点数を取ることが第一。それはそうです。しかしながらできれば「好きになる」「興味をもつ」「大学合格後も学び続ける」ほうがどれだけ楽しいか。人生は学ぶこととイコール。となると勉強は生きることと同じ、と言ってよいと思います。
現在こちらから声をかけてボランティアで中学生の高校受験をお手伝いさせてもらっていますが、来年度には院長の副業として寺子屋的な教育チャンネルを(現在医療チャンネルとは別に)立ち上げ、希望者がいれば塾講師的な仕事も始める予定です。院長と同じ神奈川県立の進学校(昔の学区トップ校、すなわち翠嵐・湘南・柏陽・厚木・小田原・平塚江南・横浜緑が丘・川和・茅ヶ崎北陵・秦野あたり)を目指す中学生を応援できればと思っております。そしていつか、お手伝いした学生が院長と同じ東京科学大学医学部に進んでくれたら望外の喜びです。
生きることは学ぶことであり、教えることは学ぶこと。となれば、生きることというのは自分の知識や経験を伝えていくことと通じると思っています。長年にわたり同じ高校で数学を教えていた母親には及びませんが、院長も 50 歳になる来年から、次世代のために少しでもチカラになれるよう、診療にも教育にも全力で関わりたいと思っております。
