東洋経済オンライン 2018/5/29 付けの記事(https://toyokeizai.net/articles/-/221131?display=b)で「50歳を過ぎたら同窓会に出席してはいけない 旧友を整理し友達を入れ替える勇気が必要だ」とあります。院長は今年で 49 歳。ちょうどこのあたりの年齢ですので少し読んでみました。"かつては楽しみでしかなかった再会の場" が、ある年齢を境に、どこか重苦しい心理的ハードルを伴うものに変わってしまう、とのことです。
近年、こういったメディアや SNS では「一定の年齢を過ぎたら同窓会に行かないほうがよい」「旧友を整理し、人間関係を入れ替える勇気を持て」といった、いわゆる「同窓会不要論」がみられます。そこでの批判的な意見は以下のよう。「集まれば病気や薬の話ばかり」「過去の栄光にすがる懐古主義」「かつての役職や経済力を競い合う不毛なマウンティング」……。でも本当にそんなに同窓会とは "よろしくない" ものでしょうか。
まずなによりも同窓会というのは "企画するひと" がいないと始まらず、このひとに皆お礼を言わなければなりません。上記のような意見を表明する前に。院長もこれまで何回も同窓会に参加させていただきましたが、いつも企画してくれる高校の M 氏や中学の I 氏に心から感謝します。ありがとう。そのうえで、同窓会を単なる「昔を懐かしむだけの場」として切り捨てるのは、あまりにもったいないように思います。そこには、「社会的な健康(ソーシャル・ウェルビーイング)」を回復させるための、良好な処方箋みたいなものがあるようにも思うからです。
まずはひとつひとつ反論してみましょう。同窓会を否定する側の意見、「延々と続く病気、手術、薬の副作用の話」。確かに、せっかくの祝宴で「最近、どこどこの病院へ行った」「あの薬は副作用が強かった」という会話が繰り返されるのは、一見すると生産性がなく、暗い影を落とすように思えるかもしれません。しかし一方で、「同世代で何でも話せる仲だからこそ共有できる "生存のためのリアルワールドデータ" 交換の場" とも考えることができます。
つぎに「過去の栄光にすがる懐古主義」。これについて、心理学の世界では「過去を語ることで自尊心を高め、精神を安定させる「回想法」というアプローチがある」とされています。病気や心身の衰えという、抗えない現実に対し、かつて共闘して仲間と連帯意識を持つことは決してマイナスばかりではないでしょう。
さらに「かつての武勇伝を語ることの一見低く見える生産性」ですが、これにより「昔持っていたモチベーションを思い出し、現在の生活やその後の人生にプラスに作用させる」ことは決して珍しくはないと思います。
一般にわれわれのような中年になると誰しも、同僚や家族には見せられない「弱さ」みたいなものがあります。それらを一瞬だけでも共有することは、心の均衡を保つのに役立つことと想像できます。同窓会はこのような "シェア" をするのに絶好の機会とおいえます。
同窓会では、数十年という歳月が作り上げた、ひとりひとりの「人生の重み」に触れることがあります。それを聞くと、「現在の自分」と「昔のキャラ」とのギャップに戸惑うことがあるかもしれません。しかし、そのギャップこそがその後の生活にむけての良い刺激になることも多々あるように思います。また、さまざまな人間模様を見ることが単純に面白い。
- 40 代で二度目の結婚をし、新しい幸福を掴んだ人。
- 50 代で初めて親になり、育児と更年期に同時に向き合っている人。
- 10 年にわたる心の病を経験しながら、一歩を踏み出そうとしている人。
- 40 代後半で配偶者を亡くし、その事業を引き継いで数倍の規模にまで成長させた、不屈の精神を持つ人。
こうした多様なエピソードに触れると、単純にその波乱万丈にただただ感服します。
「昔は大人しかったあいつが、これほど逞しくなったのか」
「あんなに自信家だった彼が、介護を通じてこれほど優しい顔になったのか」
「勉強が好きだとは知っていたけどやっぱり学者になって大学教授として活躍しているのか」。
そういった同窓の活躍を知るだけでも刺激になります。
そんなふうに考える院長ですが、先日東京科学大学医科同窓会・神奈川県支部会で自分の半生を簡単に振り返るという、大変ありがたいプレゼンテーションの場を頂きました。そこで久しぶりに出会えた同期とも話すことができ、嬉しかったです。
同じ医学部を出てもそこからの人生は本当に多種多様。いつも同じメンバーでダベっていてはどうかと思いますが、冒頭のように「同窓会を否定的にとらえる姿勢」というのはまたこれもどうかと思う院長でした。
同期の京野先生。相変わらずスラッとしてルックスがよくて羨ましかったです(写真掲載について許諾をいただいております)。