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'90 年代、'00 年代、'10 年代とか 10 年単位で区切りされるより元号のほうがなんとなく時代的な雰囲気がとらえやすいような印象があります。

[2025.08.14]

昨日レセプト提出のときに必ず「年号(日本なら元号でも可)」に触れる云々・・・というハナシをしました。今回はその続きです。

現在公的な暦に国家固有の元号を使っているのは日本のみとなっています。創始国であるお隣の中国では最後に使われた年号が清朝の「宣統」で、その後中華民国成立の 1912 年からは「中華民国紀年」が使用され、1949 年以降は公的な暦としては西暦が使われています。

ややこしい「年号」と「元号」の違いですが、年号とはもともと中国から伝わった言葉で、年を示す言葉全般という意味で使われていました。日本は明治時代から "一世一元の制" が定められ、天皇陛下の代替わりがなされない間は一元号となっていますので、現代では「元号」≒ 「年号」みたいになっています。

さて、なんでこんなに前置きしたかと言うと、昨日のブログで紹介した夏目漱石の『こころ』。最近再読して改めて「時代の変遷が元号とともにある」ことを意識したからです。どういうことか。『こころ』の該当箇所をおさらいしてみましょう。

1912 年 9 月 13 日、明治天皇大喪の日、乃木希典大将は妻とともに自刃しました(腹を十文字にかっさばき、その後軍刀で頸部を貫くという、古来武士の最も "正式" な作法での自死を遂げています)。乃木は日露戦争の英雄であり、明治国家の忠誠・武士道精神を体現する人物とみなされていました。このことについて、『こころ』のなかで実際に起こった事件として紹介されています。

この殉死について、志賀直哉や芥川龍之介など、若い世代は年配世代にとって、乃木のいわば "前近代的" な教育は批判されるべきものであり、その殉死は時代錯誤的な行為に映るものであったようで、彼らは冷笑するような態度をとりました。そして時代に見合う新しい価値観(個人主義・自由主義・西欧的近代思想)の登場を促すような意見を表明しました。一方、夏目漱石や森鴎外などの "年配世代" はその死を肯定的にとらえていたようです。

いずれにしても、忠君愛国の体現ともいうべき天皇陛下ご崩御にともなう臣民の殉死に対する肯定・否定そのものが「明治精神」の象徴的な終焉を意味していたといえるのかもしれません。

そして漱石は『こころ』作中で、「先生」が新聞で乃木大将の殉死を読み、その後、年配の作家と若い作家の会話を耳にします。年配の作家は乃木の行為を理解し、むしろ称賛に近い感情を示します。それは、彼が明治的な価値観の中で生きてきたためであり、武士道や忠誠という枠組みで乃木の死を自然に受け止めているからです。一方で若い作家は、殉死を理解しつつも、必ずしも肯定しません。むしろ現代的な合理性や個人の幸福を重んじる立場から、その行為を「時代の遺物」として距離を置きます。

この世代差は単なる個人の感情の違いではなく、時代精神(よくドイツ語のツァイトガイスト Zeitgeist とカタカナで表現されるあれです)の変化を示しており、

  • 明治:国体・忠義・武士道の精神が社会の規範

  • 大正:個人主義・民主主義・自由思想への志向が台頭

という対比がわかりやすく提示されます。『こころ』では、乃木の殉死が「先生」の心を強く揺さぶり、最終的に彼が自身の過去と向き合い、死へと向かう契機になります。これは、明治の精神的遺産を背負いきれず、時代の変わり目に取り残された個人の悲劇でもあるのかもしれません。

元号の本質はもともと今上天皇が自らの治世で時間を区切るものであったのでしょう。というのは年号を創出した前漢の武帝は「皇帝が領土だけでなく時間をも支配する」というコンセプトを有していたという記録が残っているからです。しかしながら、現代においてこの元号によって分けられる時代の区分というのは、日本という国においてはなかなかに貴重な時間のまとまりを示しているように感じます。令和となってはや 7 年目になりますが、現在 48 歳の院長としてはもうひとつの元号時代は生きてみたいと感じた『こころ』の読後感でした。

ちなみに『こころ』の最終節のラスト近くに、このブログでもたびたび取り上げている、尊敬する渡辺華山先生の名前が出てくることも、この作品が好きな理由のひとつであったりします。漱石先生も崋山先生、好きだったのかな。だとしたら嬉しい。

イラストは Chat GPT 5 が作成した『こころ』の表紙です。「奥さん」がちょっと薄幸そうすぎる感じがどうかと思いますがまあまあよくできていますね。

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